Der Weg zum Friedhof (1)

帝国暦472年12月5日

「ジューサー マイ ドゥ クヴェル デス レーベンス、ビスト ゾー ジューサー ブルーメン フォル…」

久しぶりの温かい陽光が降り注ぐ庭に、澄んだ歌声が響く。春を寿ことほいにしえの歌である。

 

“麗しき五月よ 命の泉

君は麗し 万花ばんかのあいだ

愛はいたずらに求めはすまじ

花冠を編むべきひとを”

 

食堂から続くテラスの前の庭で、フランツィスカは花壇に水をやっていた。ラーベナルトに頼んで作ってもらったこの花壇に、彼女は2日前、市場で買ってきた球根を植えたばかりだ。芝生を切りながら何を植えるのかと尋ねる執事に、フランツィスカは5月に咲く花だと答え、

「でも、パウル様には内緒にしてね」

と、声をひそめた。

テラスの陽だまりでは犬が自らの前脚を枕に眠っている。オーベルシュタインの出張中に、帝都の季節はすっかり冬へと移り変わった。木枯らしに吹かれて落ちる庭木の葉は、掃けども掃けども尽きることがないように見える。

フランツィスカが手をかざして黄色っぽい太陽を見上げたとき、ヘルガが大きな足音を立ててフランス窓に姿を現した。驚いた犬は跳ね起きる。

「奥様! 旦那様がお帰りになりますわ! 今、軍港からご連絡があって!」

 

地上車が車寄せに入ってくる音を聞きつけ、アインシュタインは玄関ホールを縦横に走り回って大きな声で吠え続けた。執事が扉を開けるや、オーベルシュタインに飛びついり離れたりを繰り返して、歓迎の意を示した。帰宅した主は行儀の悪い犬を叱りもせずに、頭や顎をさすってやった。

フランツィスカは溢れる感情を抑えるように両手を胸にあてる。やっと日常が戻ってきたのだと感じた。オーベルシュタインは軍帽を取って彼女の瞳をとらえた。小さく首をかしげ、口の端にほんのわずかに照れたような微笑みが浮かんでいる。

「今、帰った」

「おかえりあそばせ」

フランツィスカは待ちわびた人の胸に飛び込み、その首に両腕を回した。背丈の差のぶん足が宙に浮き、オーベルシュタインはその勢いを逃すように彼女を抱きとめたままくると回った。

3週間ぶりの再会である。

 

2階のオーベルシュタインの私室で主人のトランクを開けた執事は、甘い匂いがふわりと香るのに気が付いた。見れば無造作につっこまれた花束とケーキの箱がある。花は若干傷んでいるし、ケーキの箱は角が少しつぶれていたが、ラーベナルトは嬉しそうに目を細めて、着替え中の主人に問うた。

「旦那様、こちらは奥様へのお土産でございましょう?」

「違う。上官に付き合って買っただけだ。お前たちで食べるとよい」

今朝方オーディンの軍港に到着し、迎えの地上車の待つ乗り場へ向かおうとしたところ、ハウプト大佐にそっちではないと言われ、花屋とケーキ屋を連れまわされた。軍港には帰還する将兵を当て込んだ店が多い。父親に買ってもらったばかりの玩具を握りしめる子供もいたし、宝飾店には真剣な表情で指輪を選ぶ青年がいた。不思議なことに、ハウプト大佐はオーベルシュタインには当然、花やケーキを持ち帰る相手がいると考えていたようだ。自分には不要だと抵抗したのだか、結局、卿はこれにしろ、と、半ば強引に買わされてしまった。

「奥様へのお土産でございますよね?」

執事は有無を言わせぬ調子で、着替え終わったオーベルシュタインの手の中に花とケーキを押し込み、隣室へ続く扉を開けて主人の背を押した。

フランツィスカが待っている。

「ん…、これ」

「まあ。ありがとうございます、あなた」

情感も何もなく差し出された花とケーキを、フランツィスカは頬にえくぼを浮かべて受け取った。

「いや、実は上官…」

「よろしゅうございましたね、奥様」

茶の支度を始めた執事が、割り込むように声をかける。

「ええ、お花をいただくなんて初めて」

「それはスノーフレークでございましょう? 花言葉は確か『汚れなき心』でしたね」

「詳しいのね、ラーベナルト」

犬が花に顔を近づけて匂いをかぎ、一つ大きなくしゃみをした。

「そちらのクーダムのショコラーデトルテは、帝都で一番のケーキでございますよ。旦那様も分かっておいでですな」

オーベルシュタインのすねたような顔を見てみぬふりをして、執事は続けた。

「お夕食のデザートにでも、お出ししましょうか?」

「ええ、お願い。パウル様、ラーベナルトとヘルガにも分けてやってよろしいでしょう?」

「ああ」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えましてご相伴に預かります」

オーベルシュタインは嬉しそうな妻を前に、事実を告げないでおくことにした。ここはハウプト大佐に感謝するべきなのだろう。このお節介な執事にも。

ラーベナルトが退室したのを見送って、オーベルシュタインはフランツィスカの手を取りソファ腰掛けた。頬に手をあててゆっくりと接吻をする。

「変わりなかったか?」

フランツィスカの心には一瞬母のことがよぎったが、夫の胸に顔をうずめて表情を隠し、「心細かった」とだけつぶやいた。彼女の細い指がその存在を確かめるようにオーベルシュタインの背をつたう。

「少し、お痩せになったみたい」

「艦内食は口に合わぬのだ」

「ヘルガが美味しいものをたくさん作ってくれますわ」

「そうだな」

彼女の首筋から香る匂いが、オーベルシュタインの鼻腔をくすぐる。懐かしい香りだった。たまらず耳の下に口づけ、舌を這わせる。フランツィスカがもらした吐息に誘われるように腰を引き寄せ、角度を変えながら唇を深く奪った。彼の手にはわずかに物足りない胸のふくらみに手を這わせると、その頂が堅くしこるのが布の上からも感じられた。フランツィスカの呼吸が切迫する。

「ワン!」

だが、二人の時間はアインシュタインの大きな声によって突然停止させられた。犬は絨毯に背中をこすりつけ、ぐねぐねと体をよじりながら恨みがましい目つきで二人を見ている。フランツィスカの頬が見る間に紅潮した。

オーベルシュタインは右手の人差し指を立て、犬の注意を引いた。

「アインシュタイン、そう妬くものではない。お前はこの3週間、ずっとフランツィスカと一緒にいたのだろう」

「ふふふ、違いますわ、パウル様。アインシュタインはわたくしがパウル様を独り占めにするのに怒っているのです。ね、アインシュタイン」

犬はフンと鼻を鳴らした。オーベルシュタインはフランツィスカの顔をしばし眺めて、彼女の身体を拘束する腕を離し、犬の名を呼んで自らの膝を叩いた。犬は身をひるがえしてオーベルシュタインの膝に飛び乗った。この頃老け込んだように見えた犬は、オーベルシュタインの帰宅ですっかり元気を取り戻したようだ。

しばらく後、犬はソファに横たわるオーベルシュタインの胸に寝そべって満足そうに腹を上下させていた。そのオーベルシュタインの頭はフランツィスカの膝の上にある。

「重い…。きっと君より重い」

「そんなことはありません」

笑い声とともに降りてきた手がオーベルシュタインの髪をふわりとなでる。

「あら、白髪がありますわ」

「そうか」

自身でも気づいていたのだろうか。何でもないような口ぶりだった。やはりご苦労が多いからかしら、と、フランツィスカは思う。毎日たくさんの人と一緒に仕事をしたり、宇宙を何日も航海したりなど、ほとんどの時間を家の中で過ごす自分には想像もつかない。

「あなたマイン リーバー」

「ん?」

低く眠そうな声が単音節の相槌を打つ。

「お手紙をありがとうございました」

「ああ。どうだった?」

彼が書いて寄越した数式のことだ。

「いけないようでした」

「そうか」

「きっと、全く新しい理論が必要なのですわ。今あるものを一度すべて捨てて、新しいものを作らなくてはならないんです」

「うむ」

「わたくしそれを、大学で探したいと思います。そうしてもよろしいでしょうか?」

冷たい義眼が青碧の瞳をのぞきこむ。日頃は怠惰なオーベルシュタインの表情筋が、今日はよく仕事をし、口元を緩ませた。

「ああ、もちろんだ」

「あなたの分もきっと一生懸命学びますから、わたくしが怠けたり、あきらめたりしないように、ちゃんと見張っていてくださいね」

オーベルシュタインは手を伸ばして指の背でフランツィスカの頬に触れた。

「案ずるな。目を離すと、寂しがる人がいるからな」

「もう」

彼女の笑い声を聞いていると、オーベルシュタインの心身を支配していた緊張がすっとほぐれていく。帰ってきたのだと実感した。

 

遠くで小鳥の啼く声が聞こえる。伸ばした指先に固く薄い感触があって、チリと軽い金属音がした。正体を確かめようと薄目を開けてみれば挿入薬の包装シートであった。1錠だけ残っている。数が合わないような気がしたが、記憶が定かでない。オーベルシュタインはそれをナイトテーブルへ投げ、何度か瞬きをした。カーテン越しに明るい光が入ってくる。もうずいぶんが高いとみえた。

隣ではフランツィスカがぐったりと横たわっている。はだけた胸元に花びらを散らしたように蹂躙の痕が見える。夢中でむさぼった。彼女がかすれた声でもうだめだと訴えても、渇望を抑えられなかった。初めて「愛している」という言葉を口にしたとき、彼を受け入れる身体に強くしめつけられた。

オーベルシュタインの脳裏に突然、遠い宇宙で出会ったあの娼婦の言葉がよみがえった。

――子供がいたら、きっと生きるのが辛くはなかった。

女はそう言った。

ーーフランツィスカは、本当はどう思っているのだろう。自分が死んだ後、子供があればよかったと、彼女も思うだろうか。

哀しみとも苦しみともつかぬ感情に支配され、彼は目を閉ざした。ほどなく、頬に暖かい指先を感じた。親指が目の下の柔らかな皮膚の上をすべり、まなじりをたどって頬全体が包みこまれる。

再び目を開けると、青碧の瞳がまぶしげにこちらを見ていた。

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