Der Weg zum Friedhof (2)

帝国暦472年12月13日

「奥様、写真ができてまいりましたよ」

遠慮がちにかけられた執事の声に、フランツィスカははじかれたように振り向いた。彼女の後ろでは数式処理システムが高度で複雑な抽象世界を描き出している。意識が現実世界に戻ってくるまで数瞬を要した。

差し出された写真を見て、フランツィスカの顔がほころぶ。昔ながらの平面写真である。オーベルシュタインが出張から帰宅した翌日に、この部屋で撮ったものだ。ライティングビューローの前に座るフランツィスカ、その椅子の背に手をかけて立つオーベルシュタイン、二人の足元では犬が伏せている。机の上のガラスの花瓶には、夫が出張帰りに求めてきたスノーフレークが活けてあった。

写真を撮った日、帝都を不在にした間にたまった請求書を片付けるオーベルシュタインの横で、フランツィスカはにこにこと花を眺め続けた。白く可憐な花と繊細な緑の茎が、草木の枯れる冬のこの時期に小さな喜びを与えてくれるようだった。何より、夫が贈ってくれた花だというのが嬉しい。「このままずっと枯れなければよいのに」とつぶやいた声を、お茶を運んできたラーベナルトが聞きとめて、カメラを取り出してきたのである。

「花だけでは味気ないでしょう」

執事は逆らいがたい迫力で、主人夫妻に一緒に収まるようにすすめた。二人で写真を撮るのは初めてである。なぜか婚礼のおりの写真もない。誰一人、そこへ気が回らなかったのだ。どうやら執事はそれを悔やんでいたようだった。

それから数日後に花は枯れてしまったが、書斎で撮ったこの一枚には幸せな記憶と姿が閉じ込められた。

「ありがとう、ラーベナルト」

フランツィスカは写真を額に入れて、ライティングビューローの机上に置いた。普段は写真を嫌うオーベルシュタインであるが、それを見ても何も言わなかった。

 

オーベルシュタインは数日来、深夜の帰宅が続いている。月初に戦端が開かれた叛徒との戦闘が終結し、人事局が急激に忙しくなったためだ。ひとたび戦闘が終われば、論功行賞、昇進・降格、異動、戦死公報の発行、兵員の補充、戦没者の遺族及び戦傷病者への恩給の支給など、業務が山積みとなる。人事局に属する人事課・厚生課の二つの課では、前線の戦闘終結をもって戦闘が開始するようなところかあった。

課員への負担もさりながら、人事局を真に苦しめたのは予算不足である。行政とは、予算の裏付けがあって初めて動かすことができるものだ。軍政とて同様である。軍務省の各局各課では戦闘終結が翌年になると見越し、12月末の会計年度末に向けて予算を使い切ろうとしていた。そんなところへ大量の業務が湧いて出たものだから、予備費だけでは到底追いつかず、急遽補正予算を組む羽目になった。時期が時期だけに、財務省も渋い。だが結局、財務省は、「官僚主義をもって軍の行動を制約するは、国家への反逆である」という使い古された恫喝に屈し、軍務省の思うままに金を出した。

そういうわけで、フランツィスカはこのところずっと一人で夕食を取っている。今日も土曜日だというのに、夫は遅くなると言って出かけて行った。イライラとして何もする気にならず、台所の作業台でヘルガと向かい合わせに座り、彼女が芋の皮を剥くのを見ているところだ。

「ヘルガはいいわね。いつもラーベナルトと一緒ですもの」

「どうでございましょうねえ。夫婦がいつもべったりというのも善し悪しでございますよ」

「そうなの?」

「長い間夫婦をやっていますと、それはいろいろございますからね」

ヘルガは手際よく芋を剥き終わり、豌豆の鞘を取り始めた。

フランツィスカはヘルガから料理を習いたいとオーベルシュタインに頼んだことがある。夫は調理技術の習得自体には反対しなかったが、いくつか条件をつけた。

「ヘルガの仕事に君に料理を教えることは含まれていない。習うならば、ヘルガにではなく外に習いに行くように。それから、君が料理をするのは趣味であって仕事ではないのだから、ヘルガの職分を犯してはならない」

フランツィスカは結局、料理はやめにした。彼女の夫は食に対して非常に保守的な人で、外で食べるものはたいてい口に合わないのだ。ヘルガと同じように作れないのなら、自分が料理を覚える甲斐がないと、フランツィスカは思った。彼女がそう言って、「愛する人を逃さない秘訣は胃袋を捕まえておくことだそうですわ」と、小説で得た知識を披瀝すれば、オーベルシュタインは、「お前の主人はあの手の本を読んでは、実にくだらぬことばかり覚えるな」と機嫌よく犬に同意を求めた。

 

翌、日曜日。

給仕に立つラーベナルトは、オーベルシュタインの目の下にできた濃いくまにいたわしげな視線を走らせた。主人は今日も軍服を身にまとっている。

「旦那様、クライデベルクのお城から年末のご帰郷はいつになるか、と、聞いてきておりますが」

毎日帰りが遅いため、このようなことも朝食時に聞くしかなかった。

「今年はオーディンで過ごす」

「お帰りにならないのですか?」

「ああ。31日、1日、2日と出勤だ」

軍務書は今年、26日から2日までが年末年始休暇と定められた。だが、前線は不休であるし、年が開ければ宮中で新年祝賀の行事が続いて軍の高官も多数出席するため、省内各局に人を置いておく必要があるのだ。この休日出勤の当番はオーベルシュタインの出張中、彼に何の相談もなく決められたものである。新人の務めと黙って従う以外の選択肢はない。

「では、30日までにこちらに戻れるような日程を組まれてはいかがでしょう」

「クライデベルクなどへ行っては時差でろくに休むこともできないではないか。お前たちには例年どおり休暇を与える。食事や家のことはどうとでもなろう」

「はあ…」

ラーベナルトは少しばかり心外である。彼は自身の休暇を心配してこのような進言をしているのではない。確かに主人はこのところ仕事続きである。今日とて日曜だというのに出勤だ。執事としても、ゆっくり休んでいただきたいとは思っている。だが帰省しないとなると、またお城の父君のお怒りを買いはしないか、と、彼はそれを怖れるのだ。

主人の後ろから食後のコーヒーを差し出しながら、執事は助けを請うようにフランツィスカを見た。

「あの、パウル様。わたくしはまた、オーロラを見とうございますわ」

オーベルシュタインはあからさまに嫌な顔をした。フランツィスカの視線の動きから、執事の意を受けた発言だと気付いたからだ。

「オーロラは極地であればどこででも見られるのだ。わざわざ惑星の裏側まで行く必要はない」

「それは、そうですけれども…」

「そうだな、出かけるなら、どこか暖かいところへでも旅行するか?」

フランツィスカには分かっていた。夫が帰省を避けようとするのはきっと義父から彼女を守るために違いない。

「職場では避寒地がよく話題に上っている」

「避寒、ですか?」

「海浜でくつろいだりするようだな」

「海…」

彼女はまだ海というものを見たことがない。心を誘われないことはなかったが、そうした場所は太陽光線が強いはずだ。きっと夫の目によくない影響があるだろう。だから、あまり暑いところはアインシュタインが心配だと、気乗りしないふりをした。

それは結局裏目に出て、

「それならば、なおさらオーディンに留まるべきだ」

と、結局オーディンに滞在することになってしまった。

 

午後になって、フランツィスカのドレスが仕立てあがってきた。クライデベルクでは当然晩餐があるだろうからと、ヘルガに言われてあつらえたものだ。

フランツィスカは当初、服はもうたくさんあるから必要ないと思った。だが、オーベルシュタインは経済というものに対して異なる考え方を持っているようで、ある日、彼女のために作ってやった別口座に残高が増える一方であるのを見て、

「浪費は固く戒めるべきだが、極端に吝嗇というのもいかぬ。懐に余裕のある者が金を使わねば、余裕のない者のところへ金が回らぬからな」

と、もう少し金を使うよう意見した。

そんなこともあって、ドレスは少し贅沢なものになった。濃紺のビロード生地をたっぷりと使い、襟ぐりや袖口に手作業の繊細なレースをあしらってある。手触りもよいし、光沢も美しい。

「どこか気になるところはございませんか?」

「少し胸がきつい気がするわ」

「あら、仮縫いのときは問題なさそうでしたのに。お針子の腕が落ちたのかしら。脇幅を少し出しましょうか」

「ええ、お願い。でも急がなくても大丈夫。お城には行かないことになったのだし」

「こんなにお似合いですのに、残念ですわねえ」

フランツィスカは曖昧に笑って、虫ピンを止めるヘルガの邪魔にならぬようじっとしていた。この家政婦長はおしゃれにこだわりのある人で、暇さえあれば服飾雑誌を眺めている。オーベルシュタインもフランツィスカも、流行だとかコーディネートだとかいうことはろくに分からぬから、服のことはヘルガに任せ切りである。

ヘルガは若い頃、服飾学校で縫製を学んでいた。デザイナーになりたかったのだが、父を亡くして働く必要に迫られ、オーベルシュタインの母の衣装係になったのだ。彼女の主は、帝都の学校に通うために領地から出てきたばかりの13歳の子爵令嬢であった。明るく、おしゃべり好きで、少しわがままな、いかにも貴族の令嬢らしい方であった。

「せっかくですから、これをお召しになって観劇にでもいらしてはいかがですか? お城のお母君が十七、八歳の頃は、よく劇場へお出ましでしたわ。それはもう、ドレスをとっかえひっかえして」

芝居を見ることが目的ではない。社交界にデビューした貴族令嬢にとって、劇場は異性との出会いの場である。ヘルガも付き添って出かけることが多かった。

「観劇…。オフィーリアが見られるかしら?」

「確か、『ハムレット』でございますね。古典劇に関心がおありですの?」

「そういうわけではないの。ただ…」

フランツィスカは鏡台の上の香水瓶をちらと眺め、懐かし気な表情をした。

「わたくしの父はね、母の演じたオフィーリアを見て恋をしてしまったのですって」

「まあ、すてき。奥様のお母君もさぞお美しい方なんでございましょうねえ」

オーベルシュタインの両親が出会ったのも劇場であった。もっともこちらは、舞台と客席ではなく、幕間のサロンであった。オーベルシュタインの父は、貴族の若様にありがちなきかん気なところはあったが、陽気で快活な青年将校であった。男爵家の生まれながら勤勉なところを当時のオーベルシュタイン子爵に気に入られ、養子となったのである。令嬢の結婚を機に、ヘルガはお屋敷を下がった。子爵の従者であったラーベナルトと結婚したからだ。

「ねえヘルガ。お義母さまはなぜ、何もお話しにならないのかしら」

「さあ、なぜでございましょうか」

ヘルガはそう答えたが、彼女の心の中には一つの答えがある。きっと罰していらっしゃるのだ。夫君と自分自身を。

オーベルシュタイン子爵家の若い夫婦は、結婚から4年ほどは、仲睦まじく暮らしていた。その間、ラーベナルト夫妻には娘が一人生まれ、その子が2歳になったばかりで悪性の流感によりあっけなく喪ってしまった。夫人が懐胎したのは、ちょうどその頃である。泣き暮らす日々であったヘルガは、夫人に請われ、今度は侍女として身辺に仕えることとなった。我が子を亡くして間もない彼女は、複雑な思いを抱えながら、次第にお腹の大きくなる夫人を世話した。

そして、待望の御子の誕生とともにすべてが変わってしまった。養子の旦那様は、息子の障害を妻の遺伝のせいであると責めた。そればかりか、二つ身となったばかりの妻の枕元で、生まれた子を処分するべきだと主張した。その時の光景を思い出すと、ヘルガは今でも胸がつまる。夫人は生まれたばかりの我が子をしっかりと抱きしめて、ぼろぼろと涙をこぼしていた。彼女はそのとき初めて、貴族も平民も変わらないのだと身を持って知ったのだった。

 

「大奥様のお心のうちは存じませんけれども、若様を大事に思っていらっしゃることだけは、間違いございませんわ」

フランツィスカはヘルガの目を見て、こくりとうなずいた。

ちょうどそのとき、隣の寝室からラーベナルトの哀願するような声が聞こえてきて、二人は顔を見合わせたままくすりと笑った。犬がまたベッドに上がって寝ているようだ。

アインシュタインはこの家における自分の地位を、オーベルシュタイン、フランツィスカに続く3番目だと決めている。彼の次がヘルガで、最後がラーベナルトだ。そのため、犬はラーベナルトの言うことをあまり聞かない。

主人のペットの身分が使用人より上という考え方はあるだろう。だが、なぜ自分が妻のヘルガより下なのか皆目分からぬ。執事はそう言って嘆いる。

けれども、フランツィスカには何となく分かるような気がした。ラーベナルトは優しい人で、妻が小言らしきことを言っても黙って聞いてやるのが常である。子供がなくとも、助け合ってともに生きている執事夫妻は、フランツィスカにとって幸福な夫婦の見本のように見えた。

「アインシュタインはだんだん頑固になるわね。やっぱり年のせいかしら?」

着替えを終えたフランツィスカは、寂しげにこぼして寝室へ続く扉へ向かった。

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