Der Weg zum Friedhof (3)

帝国暦472年12月21日

オーベルシュタインは約2週間ぶりに丸一日の休養を取ることができた。もとより彼には、寝間着のままごろごろ過ごすような怠惰な習慣はなく、自宅ではまず家長としての責任を果たさなければならなかった。帳簿を確認し、請求書を処理し、得体の知れぬ招待状にすべて欠席の返事をして、ようやく一息つく。

午後、フランツィスカに乞われて、犬の散歩がてらブルーメン広場のヴァイナハツマルクトへやってきた。ヴァイナハテンの由来はとうの昔に忘れ去られてしまったが、毎年、年の暮れに広場に出される市場は人々の変わらぬ楽しみである。好天に恵まれた日曜日だ。広場には子供たちのはしゃぎまわる声が響き、食欲を誘う食べ物の匂いが満ちている。移動式遊園地キルメスが設営され、軽快な音楽とともに回転木馬が回る。

とても、平和に見えた。

そう見えるだけである。

オーベルシュタインは出張から戻ってこの方、来る日も来る日も戦死公報の発行手続をし続けた。前線から届く報告に基づき、戦死した将兵の戸籍地へ公式の死亡通知を送るのである。戦死公報がなければ遺族年金の受給資格を得ることができないため、銃後の家族にとって、それは凶報であると同時に、今後の生活を支える重要な書類である。

戦況の詳報はオーベルシュタインのレベルまで降りてきていないが、どうやら一方的な敗北を喫したらしく、死者は70万人に上っていた。しかしながら、軍の広報課がこの事実を広く人民に知らしめることはない。戦死傷者数をありのままに公表すれば、その膨大な犠牲が民衆の厭戦感を引き起こすと考えられているからだ。たとえ甚大な被害をこうむったとしても「我が軍の損害僅少たり」と曖昧な表現に終始し、敵軍が勝利の凱歌をあげながら引き揚げたとしても「賊徒をイゼルローン回廊外に駆逐し得たり」と結ぶのが常である。

この十日あまりの期間に、オーベルシュタインのデスクの上を圧倒的な物量の死が通り過ぎて行った。彼とて幼年学校から10年にわたり軍人としての教育を受けてきた士官である。戦争により政治的目的を達成することが絶対悪だとは思わぬし、その途上で将兵の死があるのは当然であろうと思う。だが、これらのおびただしい死には何の意味などなかったように見えて、オーベルシュタインはそれが気に入らない。軍上層部は叛徒との戦争に終止符を打つ気があるのか。ただ漫然と戦争を続けているだけではないのか。そう思うのだ。

戦死公報の処理を始めたころ、オーベルシュタインは気が滅入って仕方がなかった。戦死者一人ひとりに人生や家族があったのだという当たり前のことを、極力考えぬよう努めた。上官は「卿はまだ、死に慣れていないだけだ」と、彼の未熟を笑ったが、果たしてそのとおりであった。数日もせぬうちに、彼もまた慣れた。個々の死が積み重なって構成されたはずの70万という戦死者数が、全体として一つの事象のようにしか見えなくなる。軍人など、まともな神経の持ち主が選ぶ職業ではない。彼はそう自嘲した。

仕事にかかわる感情を家に持ち込むのは正しくないことだと、オーベルシュタインは思っている。彼は普段どおりに過ごしているつもりであったが、ふと気が付くと青碧の瞳が心配そうにこちらを見ていることがあった。何も話さずとも、フランツィスカには何か察するところがあるのだろう。黙って優しい口付けを落とし、そっと寄り添うだけである。そのぬくもりがオーベルシュタインには貴重であった。彼女のそばにいれば、腐臭を放つ自身の精神が浄化されていくような気がした。

 

ヴァイナハツマルクトに設けられ屋台の一つで、レンズ豆とヴルストのスープを食べ終えたばかりのウルリッヒ・ケスラー少尉は、横を通り過ぎたよく見知ったような男の後ろ姿を目で追った。

――オーベルシュタイン、か?

ケスラーは急いで紙ナプキンで口をぬぐい、軍帽と手袋をつかんであとを追いかけた。声をかけてみれば、やはり同期のオーベルシュタインであった。

「…ケスラー」

「おお。ひさしぶりだ」

ケスラーは習慣のままに敬礼しようとした手を、ごまかすように軍帽のつばにやった。オーベルシュタインがフェルト帽を軽く持ち上げて挨拶をしたからだ。思えば、彼がオーベルシュタインの私服姿を見るのは初めてのことである。士官学校ではあまり意識しなかったが、こうして見ると、フォン・オーベルシュタインは、いかにも貴族的な雰囲気を持つ男であった。

その貴族の腕を取る若い娘を見て、ケスラーの耳の先が赤く染まる。吸い込まれそうな美しい瞳がこちらを見ていた。

――すごい美人だ。

年は十六、七であろうか。すらりと背が高い。ケスラーの身長は180センチを少し超えた程度だが、彼女と目の高さがほとんど変わらなかった。いくぶんの期待をこめてオーベルシュタインのほうを見たが、この無口で無愛想な同期は、同行者を紹介する気など皆無のようであったし、ケスラーを紹介しようともしなかった。

「ごきげんよう」

娘はオーベルシュタインの非社交的な態度を意に介したふうもなく、にこやかに挨拶をした。その話し方から、ケスラーは瞬時に、この娘が貴族の令嬢フロイラインであることを察した。彼は辺境の生まれで、帝都に来てから故郷のなまりを矯正するのに大変な苦労をしたものだから、発音や話しぶりを観察するだけで相手のバックボーンを知ることができるという特技を身に着けている。娘は佇まいそのものからして、「エレガント」と名のついた型で成型したかのように美しかった。平民にとっては少々鼻につくところもあるが、美しいものはやはり美しい。

「これはどうも。大きな犬ですな」

腰を落としてごしごしと犬のあごをさすると、犬はケスラーの手についた食べ物の匂いが気になるようで、くんくんと鼻を鳴らした。

「おや、お前。尻尾はどうした?」

「そういう種類だ」

質問に答えたのは、低く乾いた男の声であった。

「なんだ、卿の犬だったのか?」

令嬢がリードを持っているので、てっきり彼女の犬かと思ったのである。オーベルシュタインは喉の奥から是とも否ともとれるような曖昧な音を発して、話題を転じた。

「珍しいところで会うな、ケスラー。卿はどこへ配属されたのだったか」

「辺境警備だ。一昨日、上官に従って帝都に戻ってきた。今日はそこまで書類を届けにな」

ケスラーの親指が独身将校官舎の方角に向けられる。

「卿は?」

「本省の人事課だ」

「内勤か。成績優秀者がもったいない。まあ俺も宇宙艦隊とはいっても、たいがい『世はすべてこともなし』の日々だが」

ケスラーは口惜しそうな表情を浮かべ、同意を求めるようにオーベルシュタインを見た。前線で活躍の場を得られないことを歯がゆく感じているのだ。

「そういえば、この間の戦闘…」

オーベルシュタインの右手が静かにケスラーの言葉をさえぎる。彼の視線を受けた令嬢が犬に声をかけて二人のそばを離れていった。彼女の首にまとわりつくゆるやかな巻き毛がふわりと揺れたとき、ケスラーはその耳の下あたりに明らかに接吻の痕と分かる赤い染みを認めた。思わずオーベルシュタインを凝視する。

――こいつ、意外にやるものだなぁ。

「何だ? 民間人に聞かせる話ではないと思うが」

「ん? ああ、そうだな」

民間人とはえらく他人行儀な言い方ではないか。そう言ってやりたいのを我慢して、ケスラーは先日の戦闘で戦死した同期のことを話題にあげた。久しぶりに会ったのでつい親しげな態度を取ってしまったが、彼はそもそもオーベルシュタインと冗談を言い合うような仲ではない。もっとも、オーベルシュタインに気安く冗談を言う人間の心当たりなど、ケスラーにはなかった。

人事課にいるだけあって、 オーベルシュタインは28名の同期の戦死をすでに承知していた。任官からわずか半年、いずれも二十歳そこらの若者である。彼はまた、ケスラーと同室であった三期上の先輩の名をあげて、その死も伝えた。

ケスラーはしばらくの間、陽気な音楽を奏でる回転木馬を眺めていた。そして、唐突にオーベルシュタインの年末の予定を聞いた。

「こちらで過ごすつもりだが」

「帝都にいる同期を誘って酒宴を開く予定だ。美味いケルシュを出す店を見つけてある。卿も来ないか」

「ああ」

「日時は後で連絡をする。あの美しいご令嬢フロイラインのことは、そのときじっくりと聞かせてもらうとしよう」

オーベルシュタインの口の両端にきっと力が入ったのを見て、ケスラーはにやりと笑った。これは意地でも話さぬ気だな、と思った。

軍服の左袖を少しまくって時計を見る。

「おっと、もう戻らねば。じゃあな」

「では、また」

ケスラーが公園の入り口で振り返ると、無愛想な同期と美しい令嬢が並んでベンチに座り、何かを話しているのが見えた。

 

「パウル様のお友達に初めてお目にかかりました」

「ああ。酒の約束をした」

「友達」ではないと思ったが、オーベルシュタインは訂正しなかった。

ケスラーは士官学校時代に比べ皮膚の色が白くなり、宇宙艦隊勤務の軍人らしくなっていた。前線が合っているようには見えなかったが、本人はそれを希望しているようだ。父に命じられるままに軍人になったオーベルシュタインとは違って、彼は軍に自身の未来を託しているものと見えた。

ケスラーはフランツィスカをお嬢さんフロイラインと呼んだ。夫婦には見えなかったのだ。世間には一目でそれと分かる夫婦もいるのに、その違いがどこにあるのか、オーベルシュタインには不思議であった。

「アインシュタイン、歩けそうか?」

散歩の時間が少し長すぎたようで、犬は座り込んで休んでいる。

オーベルシュタインが出張から帰ると、犬は目に見えて老いていた。耳が遠くなったようであったし、毛づやも悪くなっている。人間より寿命が短いぶん、老い始めると速い。痴呆が疑われる様子をみせることすらある。昨晩など、真夜中に悲しげな声で鳴き続け、フランツィスカは謝りどおしであった。

「すみません、お休みを妨げて」

「寂しいのだろう。こちらに入れてやるとよい」

「でも…」

「かまわぬ」

寝室に入ってきた犬は、フランツィスカの指差した敷物を無視して寝台に上がろうとした。

「いけませんよ、アインシュタイン」

「好きにさせてやれ」

「けじめがつきませんわ」

「よい。来い、アインシュタイン」

犬は寝台に上がるとすぐに丸くなって目を閉じた。二人の気配がすぐそばにあれば、安心できるらしい。

「ありがとうございます、あなた」

フランツィスカはオーベルシュタインの胸に顔を埋めた。優しい人が夫で、本当に良かったと思った。

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