Der Weg zum Friedhof (4)

帝国暦472年12月24日

この夜、北西の強い風が吹き荒れ、帝都は強い寒気団の支配下におさめられた。

小さな明かりを残した寝室で一人、フランツィスカは寝台のヘッドボードに身を預けて本を読んでいる。風が窓をがたがたと鳴らし、庭木の梢がざわざわと揺れる。オーベルシュタインは今日も帰宅が遅く、時計はとうに子夜しやを回っていた。

帰りが遅い日は先にやすむようにと言われている。起きて待っていると機嫌を悪くするから、いつもは横になって寝たふりをしている。深夜に帰宅したオーベルシュタインは、物音を立てぬよう静かにベッドに入ってきてそっと彼女の額に口づけて身を横たえる。彼女が眠っていないことには気づいているのだろう。フランツィスカが手を伸ばすと大きな手が握り返してくることもあれば、そのまま腕を引かれて抱き寄せられることもあった。

鳴り止まぬ風の音の間から、遠くに玄関の扉が閉まる音が聞こえたようだった。執事夫妻は先に休ませているから、オーベルシュタインは階下の食堂で一人食事を温めて食し、二階に上がって身の回りのことをすませる。

隣の部屋にいる犬がそわそわと動き回りはじめてからしばらくして、しゃぼんのよい香りがふわりとただよい、湯上りの湿しめった空気をまとわりつかせたオーベルシュタインが寝室へ入ってきた。

寝台に座るフランツィスカを見て、彼は小さく首を振る。

「まだ起きておいでか、フラウ・フォン・オーベルシュタイン」

「あ…、風の音で眠れなかっただけですわ。お帰りあそばせ」

オーベルシュタインは呆れたようにため息をつき、妻の伸ばした両腕に身を沈めて口づけた。

一段と強い風がまた窓を打った。

「数式のことならまたにしてくれ。頭がまわらない」

眠気を含んだ低い声とともに、細く長い指がフランツィスカの巻き毛にからまる。

「え?」

「話があるのではないのか」

「はい…」

フランツィスカはしばらく言いよどんで、オーベルシュタインの頬に手をあてた。

「本当に、クライデベルクにお帰りになりませんの?」

「そう言ったではないか」

明日、いやすでに今日になるか、25日は官庁の仕事納めだ。休みに入ってすぐに出立すれば、数日はクライデベルクで過ごせるはずである。年末に帰郷しないなど、幼年学校に進んで以来初めてのことだと、ラーベナルトは言っていた。執事は、主人親子の仲を心から案じている様子であった。

「ですが、お義父様もお義母様もパウル様のお顔を見たいと思っていらっしゃるのではありませんか」

「どうであろうか」

「もしわたくしのことをご心配下さっているなら、こちらに一人残っても…」

「そうではない」

今の季節、クライデベルクは気温が氷点下数十度まで下がる日々が続く。年末から当番出勤もある。同期と酒の約束もしている。犬も具合がよくないようだ。オーベルシュタインはそんな理由をぶつぶつと述べた。

「それならば、お二人を帝都にお招きしてはいかがでしょう?」

オーディンならばクライデベルクよりずっと暖かいし、オーベルシュタインの仕事に大きな影響もない。もし望まれるならば、春まで過ごしていただくこともできる。

ずっと考えていたのだろう。フランツィスカの口から彼を説得しようとする言葉が次から次へと紡ぎ出された。オーベルシュタインは眉間に深い皺が寄せ、ため息まじりに相槌を打った。

「お義父様にお会いなりたくありませんの?」

「あたりまえだ」

「でもお義父様はきっと…」

「私の家のことに余計な口を挟まないでくれ、フランツィスカ。君には関係のないことだ」

寝返りを打って反対側を向いた夫の背中に、フランツィスカは額を押し当てた。かつてなく冷たい拒絶であった。

義父は恐ろしい人だ。自分が歓迎されていないことは承知している。それでも義父が法外な婚資を積んでまで彼女を息子に妻に迎えたのは、我が子の幸せを願ってのことに違いないと、フランツィスカは思うのだ。心を尽くして話せばきっと、夫との間のわだかまりも消えるはずである。

「お義母様にも、お会いになりたくありませんの? パウル様」

返事はなかった。ただ、身体に巻きつけらたフランツィスカの細い腕にオーベルシュタインの腕が重ねられた。

 

翌朝、朝の食卓でニシンの酢漬けを口に入れようとしたフランツィスカは、わずかに眉をひそめてナイフとフォークを置いてしまった。

「どうかしたか」

「いえ。何だかあまり食欲がないみたいで」

「お粥グリュッツェでも作らせましょうか、奥様」

フランツィスカは喉元に手をやって少し考え、カモミールティーが欲しいと答えた。

「風邪でもひいたのではないか」

夜更かしをするからだと、オーベルシュタインの目が軽く妻を睨む。

「急に寒くなりましたからね。今夜は大雪になるそうでございますよ」

ラーベナルトがフランス窓に目を向けたのにつられるように、オーベルシュタインとフランツィスカも窓の外を見た。葉を散らした庭木が灰色の空に向かって細い腕を伸ばしている。

「雪ですってよ、アインシュタイン」

足元でだらりと伸びていた犬は、気だるげにフランツィスカを見上げた。

「アインシュタインは雪が好きかな?」

「ええ。小さい頃はよく一緒に遊びましたわ」

フランツィスカとアインシュタインは互いにたった一人の友達どうしであったから、いつも何をするときも一緒であった。積もったばかりの真っ白な雪の上を、人と犬の足跡がてんてんと連なるのを見るのは楽しかった。明日は3人で雪の上を歩けるかもしれない。そう思うと、フランツィスカは少し愉快に感じられた。足跡が一人分増えるだけのことが、とても嬉しい。

 

玄関でフランツィスカの頬に口づけたオーベルシュタインは、軍帽を受け取ろうとした手を宙で停止させ、もう一度妻に身を寄せて今度は唇を額に触れた。

「少し熱っぽいのではないか」

「そうですか?」

フランツィスカが額に手をやる。

「ヘルガ、医者を呼んでやれ」

「大丈夫ですわ。今日はゆっくり横になっています」

「…。無理はせぬように」

「はい。お早くお帰りあそばせ」

オーベルシュタインは執事の手から鞄と軍帽を受け取ると、いつものように犬の頭をなでて、冷たい空気の中へ出かけて行った。

 

昼前になってフランツィスカの部屋にやってきたヘルガは、ベッドのそばの椅子に座りフランツィスカに声をかけた。顔色がよくない。前髪の下に手を差し入れると、やはり少し熱があるようだった。

フランツィスカが億劫そうに瞼をあげた。

「ご気分はいかがですか?」

首が左右に振られる。髪の生え際にうっすらと汗が浮かんでいるのを見て、ヘルガは「少しスチームを小さくしましょうか」と言いながら、壁際のラジエーターに向かった。この家では暖房はもっぱらスチームに頼っており、暖炉はただの飾りである。細かな煤が出る暖炉は、義眼に悪い影響を与えるからだ。

「お腹は?」

「痛いわ」

「やっぱりお医者様をお呼びしましょう」

「ううん、いいの。また薬の副作用かもしれないもの」

3か月ほど前、着床抑制剤を飲み始めてからしばらく、フランツィスカは今と同じように体調が悪かった。吐き気がし、微熱も出た。

――おかわいそうに。

ヘルガは家事で荒れた手が当たらぬように、指の背でフランツィスカの顔にかかった髪をよけた。この若いフラウは夫のために子を持たぬことを決めたのであろう。だが、一人の女として、愛する人の子を産みたいと思うのは当然ではないか、とヘルガは思う。世話係としてオーベルシュタインを幼い頃から育ててきたヘルガは、もちろん主人の気持ちを痛いほどよく分かっている。だが、このことに関してだけは、主人を恨めしく思う気持ちがあった。

「少しでも何かお上がりになったほうがよろしゅうございますわ」

「でも気持ちが悪くて」

「お飲物はいかがです?」

「…レモネードなら」

「かしこまりました。すぐにお持ちしましょうね」

立ち上がろうとしたヘルガを、フランツィスカが呼び止める。

「あのねヘルガ。昨日パウル様にお願いをしたの」

「お願い?」

「明日からのお休みの間、お義父様とお義母様をこちらにお招きしてほしいって」

ヘルガは驚いて口を開け、それから期待に目を輝かせた。

「旦那様は何と?」

「今日お帰りになったら、クライデベルクにヴィジフォンを入れてくださるそうよ」

「まあ!」

「ヘルガ。お義母様は、来て下さると思う?」

「そうでございますねえ」

心もとない返事をしながら、ヘルガは部屋を見回した 。ここは以前、オーベルシュタインの母が使っていたものである。オーベルシュタインが生まれたのも、まさにこの部屋であった。義眼の手術が一段落してオーベルシュタインとクライデベルクに帰ってから、お城の奥様は一度として領地を出ていない。城から出ることさえない。

「もしお義母様に聞かれたら、ヘルガからもお勧めしてね」

「もちろんでございますわ」

家政婦長はにっこりと微笑んだ。この心優しい方の願いを、何とか叶えて差し上げたいものだと思った。執事夫妻がオーベルシュタインと両親とのことでどんなに気を揉んでも、所詮は使用人である。だが、フランツィスカは家族だ。よい方向にすすめることができるかもしれない。

「奥様、雪が降らないうちに市場へ行ってまいりますわ。アインシュタインも一緒に連れて行こうと存じますけれど」

「ありがとう。この子、この頃すぐに疲れてしまうの。もし途中で休みたいと言ったら、急かさずに待ってやって」

「かしこまりました」

スチームのそばで眠る犬に散歩だと声をかけると、アインシュタインは急に若返ったように飛び起きた。寝台に前足をかけてフランツィスカを起こそうと顔をなめる。彼女がヘルガと行くよう言うと、何度も振り返りながら出かけて行った。

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