Die Mörder sind unter uns (3)

帝国暦473年1月20日

オーベルシュタインは収監中の父に面会するため、憲兵隊本部を訪れた。父は身ぎれいにこそしていたが、疲労の色は隠せなかった。藁色の髪に交じる白髪がまた増えたようである。

「ホーエンローエ閣下は、助けることは叶わぬと仰せでした、父上」

「何だと?」

「社会秩序維持局がホーエンローエ閣下を引きずり出そうとしています。閣下は、本件にかかわるお心づもりはないようです」

「私にありもせぬ罪を認めよというか。もう一度行ってこい、パウル。閣下は大切なことをお忘れではないか、と」

父のいう「大切なこと」とは、ミヒャールゼン中将殺害の一件であろう。ホーエンローエと対峙したとき、オーベルシュタインに確証があったわけではない。表面に現れた事象をつなぎ合わせて、彼が最も確からしい真実を構成したに過ぎない。だが、ホーエンローエが引き下がったことで、それは確信に変わった。

ミヒャールゼン中将を殺したのは、当時従卒を務めていた父である。父とホーエンローエはその秘密を共有した。ホーエンローエはおそらく、当時の軍上層部の意向を受けてミヒャールゼン殺害を企てたのだ。しかしながら、父がブラスターの引き金を引いたことは計算外であったに違いない。ケラーを切って一件落着するはずが、ホーエンローエは父を庇護せねばならなくなった。父は、軍人としては無能な男であるにもかかわらず、旨味が多く、危険の少ない部署で昇進を重ね、何の武勲もあげずに中佐の階級を得ている。

オーベルシュタインを幼年学校に入れる際には、父が秘密を利用してホーエンローエの助力を得た。クラヴィウス家との縁組にあたっては、婚資という名の金を引き出すため、ホーエンローエのほうが父を利用した。180万帝国マルクなど、彼の目の障害を差し引いてもあまりに法外な額である。おそらく金が必要であったのだ。あるいは帝国の貴族社会を巻き込んだ骨董バブルがその一因であったのかもしれない。

「父上。閣下は私を殺すおつもりなのです」

オーベルシュタインは膝に置いた手を見つめた。

「何を言う。お前は関係なかろう」

「シリウス方面におけるサイオキシン麻薬に関する疑惑を報告したのは私です。事実、そのような噂を耳にしましたので」

「何?」

「父上が罪を認められぬ場合は、私が虚偽の報告により閣下を陥れようとしたことになりましょう。もはや致し方ありません。父上が死ぬか、私が死ぬか、どちらかです」

「おのれ、老人め…」

机に両肘をつき額を預けた子爵の前に、小瓶が置かれた。中身が毒であることは明らかだった。

「どうなさいますか、父上。私は構いませんが」

オーベルシュタインにとって、人生で初めての命をかけた賭けであった。父に死ねと命じられれば死ぬつもりである。だが、ホーエンローエの言うように父に息子への愛があるならば、父は自ら死を選ぶであろう。

父は白髪の多い髪の毛をかきあげて、何の装飾もない天井を見上げた。

「よかろう。明日、また来い」

「はい」

扉を開けようとする息子を、父が呼び止めた。

「母上に顔を見せに帰れ」

「…はい」

それからしばらく、オーベルシュタイン子爵は息子の去って行った扉から目を離さなかった。昔から何を考えているか分からぬ子供であった。目つきが悪く、常に淡々として、可愛げがない。むやみに感情を表さないのは貴族として讃えられるべきことであるが、親に向かって笑いかけたことすらないのだ。

なぜ自身が劣悪遺伝子保有者の息子など持ってしまったのか。貴族は優良な遺伝子を持っているはずである。彼自身も、帝室を重んじ、その藩屏たらんとして生きてきた。それにもかかわらず、あのような子が生まれた。息子の存在は彼の矜持を傷つけるものであったし、銀河帝国と皇帝陛下に対する忠誠心を損なわせるものに感じられた。消し去りたかった。

息子が生まれたとき、非常に徹するべきであったのだ。しかし、赤子を隠すように胸に抱いて、ぽろぽろと涙をこぼした妻を目の前にして、彼は情に流された。子供を生かしたことで、どれほど多くのものを失ったことか。実家のオッフェンバッハ家とも疎遠になり、社交界とも切れた。いや、彼のほうから身を引いたのだ。

子爵は息子を恥じる心をどうしても消すことができない。学校でいくらよい成績を修めようと、今後どれほど出世しようと、息子が劣悪遺伝子保有者であることには変わりない。どうしても、認めることができなかった。

しかしあの娘は、クラヴィウスの娘は何と言ったか。遺伝子がすべてを決めるなど誤りだと、この国の定法を公然と否定した。二十年にわたって子爵を苦しめてきたものを、あの娘は簡単に受け入れたのだ。

息子の書斎に置かれた写真の中で、我が子は子爵が見たことのない穏やかな表情をしていた。口元には笑みさえ浮かべていた。子爵が抑えきれぬ憤怒を胸に屋敷を出ようとしたとき、妻の名を叫ぶ息子の悲痛な声が屋敷内に響き渡った。

――共和主義者め。

彼の息子はあの娘に取り込まれたのだ。

ホーエンローエの仲立ちにより決まった縁談は、クラヴィウス子爵が急逝したことで、一度は白紙になりかけた。だが、彼は遠いクライデベルクで夫を責め続ける妻に、オーベルシュタイン家の跡継ぎを見せてやりたいと思った。残る命が少なくなりつつある妻への、罪滅ぼしのつもりであったのかもしれない。そうだ、妻はもう長くない。妻は何も言わないが、彼は知っている。

所詮、この国に劣悪遺伝子保有者の生きる場所などないのである。果たして息子はどのような一生を送ることになるのか。息子が生まれて20年にして初めて、子爵はそれを気がかりに思い、そのような自分自身が滑稽でならなかった。

 

オーベルシュタインが父の遺体を引き取ったのは、その翌日のことである。

それから3日後、オーベルシュタインは執事夫妻と父の棺を伴ってクライデベルクに帰郷した。真冬の故郷は、地上すべてが雪と氷に覆われ、北国の太陽が低い位置で銅貨のようなにぶい光を放っていた。

城の使用人たちは子爵の突然の死に驚いた。わずか1か月ほど前、共和主義者であったらしい若奥様が処断されたばかりである。そして今、城では子爵夫人の病状が悪化して昏睡状態にあった。帝都の若君に連絡をしようかどうかと、話し合っていたところだったのだ。

オーベルシュタインは父の埋葬を先送りして、母の部屋を訪れた。母は医者も薬も一切拒否しているのだという。この20年の間、オーベルシュタインが生まれてからずっとそうなのだと、侍女が泣きながら話して聞かせた。母の体調がすぐれぬことに気づかぬではなかったが、死期が迫っているなどとは思いもしなかった。

床に伏せる母は、ひどい顔色であった。頬がこけ、目がくぼみ、髪も潤いを失っている。一目見て、「もう、死ぬな」と思った。そう思うと、胸に迫るものがあった。母は、やはり母なのだろう。

母は夜中に一度、意識を取り戻した。

「母上」

寝台の脇から声をかけた息子の姿を認め、彼女の目に不思議なものを見たような色が浮かんだ。

「母上。帝都へお移りになりませんか」

夫人は瞳を閉ざし、ぼんやりとする頭で、もしかすると月日が遡ったのではないかと思った。そして、そんなはずはないと、瞳を閉ざした。

 

これがもし、あの日であったらどれほどよかったか。先月24日の夜、以前、子爵夫人の侍女であったヘルガ・ラーベナルトが突然連絡を寄越した。ヘルガはこれまでも手紙で息子の様子を知らせてくることはあったが、直接ヴィジフォンを入れるなど初めてのことだ。どうやら屋敷ではなく、出先の郵便電話局のブースからのようで、画面の下のほうで犬の頭らしき白いものがうろうろとしていた。フランツィスカの犬であろう。

「若奥様が、お城の奥様と旦那様を帝都のお屋敷にお招きしたいとお願いなさって、若様がご承知なさったようですの。今晩、若様がお帰りになったらお城へご連絡なさるおつもりだそうですわ。どうか奥様、ぜひともご承知になって、帝都にお出ましくださいまし」

哀願するようなヘルガの声にもかかわらず、子爵夫人は何の承諾も与えなかった。この頃、体がどんどん弱っており、帝都に行けるかどうか分からなかったからだ。だが、少々の無理をしても、行ってみたいような気もした。きっと息子を優しい眼差しで見つめていたあの嫁が、夫と義父母の仲を案じてくれたに違いないと思ったのである。このような前向きな気持ちになったのはいつぶりだろうか、と、夫人は思った。

だが、待てども待てども、息子からの連絡はなかった。そして、惑星内旅客機の欠航で予定より1日遅れで帰宅した夫から、驚愕するべき事実を告げられた。

「パウルの嫁は手打ちにした。あれは共和主義者だ。パウルのそばに置いておいて害になる。まったく、とんでもない娘を押し付けられたものだ」

夫人は言葉にならぬ声を発して失神し、そのまま寝付いてしまった。もう枯れ果てたかと思っていた涙が、後から後からあふれた。秋にサロンでともにお茶を飲んだときのことが思い出された。彼女の息子はミルクポットを取って妻に渡してやっていた。その何気ない姿から、彼らの間に確かな信頼と思いやりがあることを夫人は感じたのだ。それは、自分たち夫婦が無くして久しいものであった。

 

「母上、どうか帝都で治療をお受けになってください」

彼女の追想は息子の言葉によって中断された。言葉とは裏腹に冷たい義眼が、無表情に彼女を見ていた。遺伝子がすべてを決めるなど誤りだと、あの娘は夫にそう言ったのだという。そうだったのだ。なぜそんな当たり前の道理が、わたくしには分からなかったのか。もしこの子にそう言ってやっていれば…。

――もう、何もかも遅い。

「パウル」

細くかすれた声が、ゆっくりと息子の名を呼んだ。

「はい」

「フランツィスカ殿は、あなたを愛してくれたのですね?」

「…はい」

「あなたも、そうだったの?」

オーベルシュタインは黙ってうつむいた。

「そう。ひどいお父様ね…」

悲しげに微笑んだように見えた母は、それきりまた昏睡状態におちいった。母が彼の心に寄り添うような言葉をかけたのは、このときが最初で最後であった。父を非難するその声音にも、やはりいくぶんか、父に対する愛情のようなものが含まれているように息子の耳に響いた。このまま父の死を知らずに逝かせることが母のためであろうと、彼は思った。

そして母は、高緯度地帯の遅い夜明けが来る頃、静かに息を引き取った。

後には、母からの手紙が遺されていた。

 

“パウル

母は、後悔のうちに死にます。

傷つくのを恐れるあまり言葉を惜しんで生きてきた、その後悔が母を死なせるのです。

わたくしは、あなたとフランツィスカ殿が互いを想い、幸福な日々を過ごしていることを知っていました。あなたが家庭の中に安らぎの場を得たことがとても嬉しかった。

オーベルシュタイン家のことは、あなたの自由になさい。ただ、領民たちの暮らしが立つようにしてやってください。

それだけです。”

 

もし子爵夫人がこれを直接語ったならば、彼はどれほど救われたろうか。オーベルシュタインは何と母らしいことかと思った。最後まで言葉を惜しんだ方だった。いや、それはオーベルシュタインも同様である。彼とて、自ら母に話しかけたことなど一度もなかった。母と子の間には、常に緊張の粒子でできた濃い霧があって、互いをはっきりと見ることはできなかったのである。

 

オーベルシュタインは二つの棺を乗せた小舟とともに、青白く輝く湖を渡った。舟の舳先へさきが湖面を覆う薄氷を砕くたび、きしむような音がこだました。彼は毛裏のついた黒いコートを身にまとい、頭にフードを深くかぶせて小舟に立っている。湖の周囲には雪が降り積もり、オーベルシュタインの見つめる対岸の墓所も、白い石灰岩がなおさら白く見えた。その白い世界に、葬列の人々が黒い染みを作っている。

棺に従う者たちのすすり泣く声が湖面を渡る。ただオーベルシュタインのみが超然とした姿勢を崩すことがなかった。彼は自身の義務と責任を黙って果たすだけであった。

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