Neue Reich im Jahre Null (1)

新帝国暦元年7月

ラインハルト・フォン・ローエングラムの登極にともない、新帝国開闢の功臣たるパウル・フォン・オーベルシュタインは元帥に位階をすすめ、軍務尚書ミリテアカンツラーに任じられた。

軍務尚書は銀河帝国正規軍約7500万を束ねる軍部の最高位である。オーベルシュタインの尚書就任は、彼を忌避する諸提督にとっても、不愉快ながら異論のないところであった。彼にはそれだけの功績があるし、軍政に明るいことはローエングラム元帥府ですでに証明している。前王朝の時代から、オーベルシュタインはどこの部署においても上官・僚友を問わず一様に嫌われたものだが、軍官僚としては重宝された。官僚の第一の仕事は予算取りだ。彼は予算を取るのが抜群にうまい男であったのだ。

ゴールデンバウム王朝は施政面において数多の失政があったとはいえ、財務状況だけは健全性を保持していたと言ってよい。有史以来、ある国家の終焉が財政の悪化に起因する例には事欠かないが、前王朝は違う。広大な版図を有し、人民に施すところ少なく、不公正な搾取体制が永く続いた王朝である。その結実として、王朝末期に至っても、中央省庁には十分な予算があった。そうは言っても、もちろん無制限というわけではない。官庁街の官僚たちは限られたパイを奪い合い、省益最大化をはかるのにしのぎを削ったものである。

予算取りはまず、各省から財務省に対して予算要求を出すところから始まる。財務省でそれらを審査し、一定程度の減額をさせるのが慣習である。そのため、各省では予め査定減額分を予想して必要以上の予算を要求しておく。 そうすることで、財務省は削減目標を達成したという面目を保ち、各省は必要な予算を確保することができる。露店の値段交渉と似たようなものだ。落としどころは最初から双方の腹の内にあるのだ。

この予算交渉の進め方は、新王朝が樹立された後も同様あった。ローエングラム王朝はいわばゴールデンバウム王朝の国家組織をそっくり乗っ取ってしまったのであるから、それも当然のことであろう。

しかしながら新任の軍務尚書は、軍官僚にこうした虚虚実実の予算交渉を一切やめさせた。必要額をありのままに要求するようにしたのである。旧軍務省の経理課にいた頃から、オーベルシュタインは財務省にとって手ごわい交渉相手であった。かつて軍官僚の多くは、軍の力を背景に財務省を抑えつけたものであるが、彼は違う。徹頭徹尾、理詰めである。一分のすきもないデータを示し、一分のすきもない弁舌をもって悉く予算要求を通した。財務省の主計官はそれを心中忌々しく思わないではなかったが、オーベルシュタインの持ってくる資料と理屈があれば上役を容易に説得できるため、彼が交渉相手であれば、ある種の安心感もあったようだ。いわば、話の通じる相手だったわけである。

そんなオーベルシュタインを興味深く観察しているのが、自他ともに軍務尚書の腹心と認めるフェルナー准将だ。ただし、それを軍務尚書その人に認められているかどうかは定かでない。フェルナーにとって、めったに感情を示すことのないオーベルシュタインの反応を引き出すことが、目下の楽しみの一つである。刻薄な人柄だと聞いていたが、実際はそんなこともない。と言っても、高潔な人間でもない。きたないことも厭わぬことは周知のとおりだ。しかし部下になってみると、意外に仕えやすい相手である。評価は公正であるし、職務を越えて不条理なことを要求することもなかった。

オーベルシュタイン家は代々子爵の爵位を持つ貴族であった。軍務尚書の父親が軍部における何らかの疑獄に巻き込まれて自害、奪爵された。それで彼は城と領地を失い帝国騎士に身を落とした。フェルナーはそう伝聞している。

詳しく知るわけではないが、その暮らしぶりは実に貴族的である。寒門の出の皇帝にどこか貧乏性の抜けぬところがあるのとは違い、基本的に何事にも鷹揚だ。ただしそれは、優しいとか甘いとか言ったものとは程遠い。身体障害者であるから、同じ境遇の者たちに同情心があるかと思えば、まったくそのようなことはない。あらゆるものを平然と突き放す無情さがある。フェルナーは当初、それがオーベルシュタインが貴族階級出身ゆえの限界かと思っていた。しかしながら、やがてそうではないのだと知った。軍務尚書はどんなものとも一定の距離を保とうとする。それは天の高みから地上を見下ろすような無情さに近い。蟻の群れを見るとき、人はその個性を尊重するだろうか。蟻には蟻の事情があろうが、そんなことをいちいち意識しはすまい。つまりはそういうことだ。

軍務尚書の目指すものは、おそらく、最大多数の最大幸福。これであろう。それがオーベルシュタインを最も側近くで見ているフェルナーが、暫定的に出した結論である。

 

さて、フェルナーの観察対象たるオーベルシュタインは、この日、新王朝が始まって初めての休暇を取ることができた。皇帝が即位からわずか1週間で暗殺されかけるなど、新王朝は波乱の幕開けである。軍務尚書たる彼は仕事が湧き出る泉のそばにいるかのように、尽きることのない政務に明け暮れている。そんに中で、自宅で敷ゆっくりと過ごすことのできる時間は貴重であった。

午後になって、書斎にコーヒーを運んできたラーベナルトは、帳簿をめくる主人に遠慮がちに声をかけた。

「何か」

「そろそろ、お考えになってもよろしいのではありませんか」

「何をだ」

「後添えをお迎えになることです」

忠実な執事は、この頃自身の老いをことさらに感じている。ローエングラム公が帝国宰相に就任してから推し進められた、上からの強力な改革と啓蒙によって、劣悪遺伝子をむやみに忌む風潮は薄れつつある。何より、今のオーベルシュタインは帝国元帥であり、軍務尚書の顕職にある。彼が望みさえすれば相手には事欠くまい。すでに若くない自分たち夫婦が屋敷を退いたのち、もしも主人のそばに彼を大切に想ってくれる人があればどれほど安心か、と、ラーベナルトは思うのである。

オーベルシュタインは執事の肩越しにライティングビューローへ視線をやり、冷たい視線をすべらせて床の一点を見つめた。

「その話は二度と聞きたくない」

「しかし旦那様…」

「下がれ」

その声には珍しく感情の色彩があった。退出しようとするラーベナルトの視界に、ライティングビューローに置かれた写真立てが入ってきた。わずかな劣化が見られる写真には、若いオーベルシュタイン夫妻と毛むくじゃらの犬が幸せそうにおさまっている。あの日以来、オーベルシュタインはフランツィスカのことを一切口にしない。彼女が使っていた部屋の鍵もヘルガに預けたまま、自身は中へ入ろうともしなかった。

台所に戻ったラーベナルトは、妻に向かって小さく首を振ってみせた。ヘルガはやはりそうか、というようにうなずいて、じゃがいもの皮を剥き続けた。そうしていると、作業台の向こうの空の椅子が自然と目に入る。フランツィスカは台所に立つヘルガを見るのが好きだと言っては、よくそこへ座っていた。

ヘルガは自分だけに聞こえるように、小さくため息をついた。いつの頃からか、彼女には一人悔やんでいることがある。亡くなられた奥様はご懐妊なさっていたのではないか、という考えが消えないのだ。逝去されてしばらくは何も考えられなかったが、後から思えば、月のものも遅れていたし、食事も取れず、酸味のあるものを好んで食すなど、つわりとも思える症状が出ていた。あの日どうあっても医者に来てもらっていれば、奥様が命を落とすことはなかったのではないか。大旦那様とて、奥様のことがどれほど気に障ったとしも、オーベルシュタイン家の跡取りを宿した嫁を撃ち殺したりはしなかったろうに。ヘルガはその思いを夫にすら話すことはなかった。罪悪感を増幅させるだけだと知っていたからだ。

執事夫妻は夫人の死にひどく責任を感じてきた。そばについていながら守ることができなかったという事実は、彼らにとっても生涯の傷である。オーベルシュタインは彼らの責任を問うことはなかった。それは幼い頃からそば近くに仕えた者たちを失いたくなかったためか、フランツィスカの記憶を共有する存在を留めて置きたかったためか、執事夫妻にも物言わぬ主人の胸中を推し量ることは困難であった。

執事が出て行った後、オーベルシュタインの冷たい義眼は書斎の床の一点を見つめ続けた。彼は二日前、皇帝に対して皇妃を娶るよう進言したばかりである。まさか自身が執事から同じことを言われるとは思いもよらないことであった。あの雪の日、彼女はその場所で自らの血を敷布にして横たわっていた。書棚の一番下に重石がわりに入れてあるルドルフ大帝伝全10巻には、飛び散った血が染みついたままである。

オーベルシュタインは亡き妻の思い出に高圧をかけて極小の金属塊に圧縮し、心の海深くに沈めた。小さく圧縮されたぶんだけ密度と比重を増したそれは、深く深く沈み、もはや彼自身も掬い上げるのが困難なほど、遠いところにあるように感じる。だが、その存在を消し去ることも忘れ去ることもできない。冷たく固い金属は鋭いとげをいくつも持っており、彼の心の柔らかな部分をちくちくと刺し続けるからだ。

精神的な要因であろうか、彼は妻を失って以来、一度として性的な興奮を得たことがない。しかしオーベルシュタインには、それが当然のことのように思える。なぜ世の男は、何人もの女と関係を持つことができるのか不思議にさえ感じる。

オーベルシュタインはデスクの3番目の抽斗から指輪を取り出し、長く細い指先で弄んだ。彼は愚かであった。自分が彼女を残して逝くことがあっても、彼女を失って一人生きる未来など想像すらしなかった。もしフランツィスカが生きていたら、今頃、どうしていたろうか。きっとラインハルトのもとに参じたりはしなかった。この動乱に身を投ずることなく、数式を相手に静かな日々を送っていたかもしれない。

皇帝は近々、遷都の勅令渙発かんぱつをするだろう。

――会いに行こうか。フェザーンに移る前に。

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