Neue Reich im Jahre Null (4)

新帝国暦元年8月

帝都・オーディンの高級士官専用クラブ「海鷲」では、ローエングラム朝の元勲たる面々が打ちそろい、酒宴に興じていた。先ごろ大本営をフェザーンに移す旨の布告が発せられ、宇宙艦隊総司令官ミッターマイヤー元帥が帝都を進発するまであとわずかである。一部の提督は帝国本土に残ることもあり、今後しばらくはこうして皆が顔をそろえるのも容易ではない。別離を惜しむための宴であった。

一足遅れてやってきた憲兵総監ケスラー上級大将は、すでにかなり杯を重ねたらしい僚友らを見回して何とも形容しがたい表情を浮かべた。

「なんだ、ケスラー」

「ん? いや、今日ばかりはオーベルシュタインがいるかと思ったのだがな。誰も誘わなかったのか?」

素面とは思えぬケスラーの言葉に、帝国軍の重鎮たちは一様にあきれ果てた。

「正気か、貴様! 奴がいたら、奴の悪口を言いつつ飲む楽しみがなくなるだろうが!」

「ビッテンフェルト提督…」

至近距離からの大声に片眉をしかめつつ、ミュラーが一応は諌めるような声をあげる。

「そういえば卿は同期だったな。あのオーベルシュタインと」

「ええ、まあ」

士官学校の寮において、ケスラーの部屋はオーベルシュタインの斜め向かいだった。無口で表情の乏しい男ではあったが、今のような陰険さはなかったと、彼は記憶している。むしろ、繊細で恥ずかしがり屋の貴族の若様、という印象が強い。人付き合いもそれなりだったと思う。敵性攻略研究会なる猥雑ビデオ観賞の集まりで顔を見たこともあるくらいだ。二段ベッドの上段でつまらなそうに頬肘をついていた姿が思い出された。

「どんな男だったのだ?」

メックリンガーが尋ねる。好奇心を押し殺した顔つきだ。この男はいずれ回顧録でも出すつもりなのか、僚友に関するあれやこれやを書き溜めていると聞く。若き日のオーベルシュタインに対する興味をそそられたものと見えた。

「成績は良かったな、三席で卒業している」

「ほう…それはそれは」

端正な顔の左右の目に、色の異なる侮蔑が浮かんだ。

「何でもそれなりにできたが、数学は抜群だった。ワープアウト先の座標をあっという間に出したりしてな」

「計算高いってことだ!」

「ビッテンフェルト提督…」

オーベルシュタインは宇宙物理の科目は常にトップであったが、ケスラーが特によく記憶しているのは主計実務演習において見せた、艦船運航諸元計算の手際の良さである。兵員の手配、衣糧の補充、給与の計算、物資の補給といった後方勤務は、彼がもっとも得手とする分野に見えた。何かと謀略家の面ばかりが強調されるオーベルシュタインであるが、皇帝ラインハルトはむしろ彼のそのようなところをこそ評価して、軍務尚書の要職につけたのであろう、と、ケスラーは思う。事実、オーベルシュタインが後方を一手に引き受けるようになって以来、帝国軍の軍政は高効率で運営されている。

「士官が座標計算などできてもさして自慢にはならん。何のために航宙士がいるのだ」

「そんな細かい奴だからいい歳して結婚もできないのだ」

「それは少々酷だろう。彼の目のことを考えてみれば」

「ではやはり、浮いた噂は皆無ですか」

自身のことに関しては決して口を開かぬミュラーが、他人の色恋沙汰へは興味を隠さない。

「やめておけ。憲兵総監のもとへは僚友の公私にわたる様々な情報が入ってくるものだ。それを他の者に漏らすようでは憲兵総監は務まらぬし、我らとて心安らかではいられまい?」

ミッターマイヤーの言に、一同がうなずく。とはいえ、ミッターマイヤーには、憲兵に知られて困るようなことは皆無であろう。自他共に認める清廉潔白な男である。どうやらこれは、遠回しに親友をかばったのものとみえた。親友が私邸においているという女のことが、頭をよぎったのである。

僚友たちが声高に語る軍務尚書への罵詈を聞き流しながら、ケスラーは不意に、 オーベルシュタインと一緒にいた少女のことを思い出した。任官1年目の冬のことだ。ブルーメン広場の噴水の前で、「ごきげんよう」と彼に優しい笑顔を見せた美しい娘。彼女は何者だったのだろう。現在のオーベルシュタインの周りにそのような女の気配はない。また、あれほどの美貌にもかかわらず、ついぞ社交界で話題になったこともないようだ。

オーベルシュタインは貴族階級の出身で、帝国軍の士官である。もとは爵位も持っていた、いわゆる由緒正しき家柄だ。それなりに縁談があってもおかしくはない。平民は兵役後に結婚する者がほとんどたが、貴族は早くに家庭を持つ者が多い。それは一刻もはやく後継ぎを儲けるためであり、閨閥を形成するためでもある。ケスラーは、オーベルシュタインも大方その口であろうと思っていた。あの日約束した同期との酒宴に、オーベルシュタインは結局、無断で姿を見せなかった。再会したのは15年後、ローエングラム元帥府においてである。ケスラーはそのとき、ずいぶんと面変わりした同期の姿に驚いたものだ。

つい先頃まで、この国は貴族があらゆる場面で優位に立つ、息のつまるような社会であった。ケスラーも平民の一人として、歯がゆさと諦めを感じて育った。だが実際に貴族と交流を持つようになってみれば、彼らとてさほど幸せそうには見えなかった。何もかもが固定化され、序列化された社会の息苦しさは、貴族とて同様なのだ。視覚障害とともに生きてきたオーベルシュタインにとっても、決して生きやすい社会ではなかったはずである。

おそらくケスラーは、他の僚友たちほどオーベルシュタインを嫌ってはいない。時折、出処が不明な、かつ、放置することもできない情報が憲兵隊のほうへ流れてくることがあって、それにどうやらオーベルシュタインの配下が一枚かんでいると思しきことが、何となく面白くない程度である。

オーベルシュタインは少なくとも謙抑的に権力を行使している。自身の言動に完全に責任を負い、何の弁明もしない潔さがある。憲兵隊に入ってくる話では、彼は従卒を勤める幼年学校生に対しては、軍政で見せるような酷薄さがまるでないのだという。たとえ前線に立たずとも、武人らしさを失わぬことはできるのだ。ケスラーは艦隊司令の職務に対する未練を捨てきれないでいる。後方に置かれることに、忸怩たる思いがある。そこがオーベルシュタインと自身との埋めようのない差なのであろう、と、彼は感じるのだった。

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