Die Kluge (4)

新帝国暦2年5月23日

その5日前、ヤン・ウェンリー率いるイゼルローン占拠軍との戦闘が、唐突に終焉を迎えた。帝国軍の陣営では、戦いが終結した安堵と多くの戦友を失った哀惜との中で、敵将を迎える準備がすすんでいる。

ミッターマイヤーは自身の旗艦・べイオウルフの艦長室で、嫌々ながら軍務省との回線を開いた。宇宙艦隊司令長官として、どうしてもフェザーンの軍務尚書と連絡を取る必要があったのだ。オーディンを経由した不明瞭な映像を通して見てもなお、不愉快な顔がそこにあった。

ヤン・ウェンリーを帝国陣営へ誘い出した後、これを討って後顧の憂いを断つべし。この男は、先日、皇帝にそう具申した。よくもまあ、そのような恥知らずな献策ができるものだとミッターマイヤーは思う。その一方で、ヤンをおびき寄せる餌として、自らがイゼルローンへ人質として赴いてもよい、などと平然と言ってのける。もし皇帝がそうせよと命じれば、この男は顔色一つ変えずイゼルローンへ向かうのであろう。そこがまたミッターマイヤーの鼻についた。

「卿の無私の精神には、相変わらず頭が下がるな」

軍務尚書への要請事項を事務的に伝えた後、ミッターマイヤーはオーベルシュタインの策をそう評した。無論これは嫌味である。

「そうでありながら、大事な会戦前に皇帝陛下のご宸襟を騒がせ奉り、国家の元勲たるロイエンタール元帥の名誉を傷つけるとは、軍務尚書の忠誠心はいったいどこへ向かっているのかと、理解に苦しむところだ」

この3月、猛進する帝国軍の足を止めた1通の報告書があった。内国安全保障局のラングが司法尚書ブルックドルフを騙すように動かして、ロイエンタールを弾劾させた一件である。ロイエンタールが私邸にリヒテンラーデ侯の縁に連なる女を置いていた、という事実が露見したのだ。

「異なことを。私はむしろ、今般のことはロイエンタール元帥の名誉を守ることになったと思うが」

何千光年も彼方から、冷徹な義眼が射すくめるようにミッターマイヤーを見た。

「名誉だと? 大逆の罪を仕立てて統帥本部長を誣告しておきながら、名誉というか」

「数か月前、私は自らコールラウシュなる娘に事情聴取を行った。もしこれが軍法を以て裁かれるべき事案であれば、司法尚書による調査は職権踰越の疑いがあるためだ。結果、私は本件は民刑事の範疇にあると判断し、ロイエンタール元帥を強姦罪で訴えるよう娘にすすめたのだ。だが、当人がこれを拒否したため、捜査起訴には至らなかった。強姦は親告罪であるからな」

「ご、強姦?」

数瞬の間、ミッターマイヤーの耳は遥かフェザーンから転送されてきた軍務尚書の声の意味を、理解することができなかった。

「そうだ。ロイエンタール元帥は確かにあの娘に命を狙われたようだが、それならば、捕らえて憲兵隊に引き渡せばすむことではないか。反逆者の縁者だからとて、気の赴くままに凌辱してよいはずはない。未成年者を辱め、子を孕ませ、あげくに知っていれば堕胎させていたなどと、そのような無法な話があるか」

ノイズの多い画面の向こうで、冷徹な軍務尚書は静かに憤っているように見えた。感情らしきものを発露したらしたで、やはりこの男が気に入らないことに変わりはないのだ、と、ミッターマイヤーは目の前の話題から逃避するようなことをぼんやりと思った。

「ミッターマイヤー元帥は戦場における綱紀にことのほか厳格であると聞くが、ことが親友にかかわるとみれば、善悪を測る物差しを替えるようだな」

「なっ」

ミッターマイヤーには返す言葉がない。異なる物差し。確かにそのとおりだ。もし今回のことをこの男が引き起こしたとしたら、自分は彼のために弁明してやることはなかっただろう。むしろ、弾劾の先頭に立ったかもしれぬ。何もかも、この忌ま忌ましい男の言うとおりである。ミッターマイヤーは女がロイエンタールを陥れたのだと信じて疑わないが、女の立場からはまた違った真実があるのかもしれない。

「ほう…。軍務尚書はずいぶんとその女にお優しいようだ。木石と噂の卿の気をひくほどの、いい女だったのかな?」

ミッターマイヤーらしからぬ言いようであった。親友のために何も言い返してやれなかった腹いせである。

「…まだ、子供だった」

ミッターマイヤーは今度こそ完全に言葉を失った。オーベルシュタインの振り下ろした冷たい刃が、胸に深く突き刺さっていた。

「ミッターマイヤー元帥、要請の趣旨は承知した。速やかに手配させる」

オーベルシュタインは、無言のままのミッターマイヤーにそれだけ言って、何の未練も見せることなく、ぶつりとヴィジフォンを遮断した。

 

ミッターマイヤーが消えた灰色の通信画面を見ながら、オーベルシュタインはあの娘との対面を思い出していた。

司法省の仮事務所が入ったホテルの一室である。化粧もせず、髪も結わずに現れた女は、報告書に添付された写真よりずっと幼かった。膨らんだ腹を守るように手をやって、凄味のある目つきでオーベルシュタインを見た。だがその風情はどこか、庇護者を失った哀れな少女にも見えた。事情聴取の結果、軍法の及ぶところではないことは明らかであった。娘の身柄は社会福祉局に移送されるべきである。そこならば、妊婦として最低限の保護を受けることができよう。

司法省の役人の非友好的な視線に見送られ、仮事務所を出たオーベルシュタインの背中にフェルナーが問いかけた。

「少々甘いのではありませんか」

幾分、挑発するような口振りである。ドライアイスの剣と怖れられる軍務尚書も女子供相手には刃が鈍るのかと、面白い物を見たように思ったのだ。

「小官はあの女を然るべき場所に拘禁するべきと考えます。腹の子はリヒテンラーデ侯とロイエンタール元帥の血をひいて生まれてくるのです。後々、ローエングラム王朝へ弓を引かぬとも限りません」

エレベーター内で、オーベルシュタインは急速に近づいてくる地上の景色を見つめていた。

「卿は、まだ生まれもしない赤子に対する予防検束の根拠を、血筋に求めるか」

「は…、あの」

「遺伝子がすべてを決めるなど誤りだと、私も思う」

その言葉は、可聴域ぎりぎりの声でつぶやかれた。フェルナーはにわかに何の反応も返すことができず、地階に到着したエレベータにしばらく一人取り残された。我にかえったとき、オーベルシュタインは既に車寄せで待つ秘書官に敬礼を返しているところだった。慌てて走り寄り、同乗する。

「申し訳ありません。小官の浅慮でした」

「習以成俗しゅういせいぞくとは、そういうものだ」

オーベルシュタインはシュルツが差し出した書類から顔も上げずに、いつもと変わらぬ調子で淡々と答えた。シュルツが何事かと二人の上官に交互に視線を走らせる。

フェルナーは自身の浅はかな言葉を悔いた。軍務尚書は彼に失望したことだろう。習慣はいずれ習俗となる。ゴールデンバウム王朝で生まれ育った人間は、人の行動の原理を遺伝子に求める思考が抜けない。

――遺伝子がすべてを決めるなど誤りだと、わたし『も』思う、か。

それがこの人の、生きる道標のようなものか。フェルナーは初めて、オーベルシュタインの剥き出しの心を見たように思った。

その娘、エルフリーデ・フォン・コールラウシュが、生まれてひと月に満たない赤子とともに姿を消したとの報告が入ったのは、ヤン・ウェンリーの訃報が宇宙を駆け巡った直後のことであった。

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