Die Kluge (5)

新帝国暦2年7月

宇宙は、ほぼ統一がなった。

遷都令が発せられ、フェザーンは急速に銀河の中心へと姿を変えつつある。

オーベルシュタインは執務室に隣接する会議室で、官房長のフェルナー、秘書官のシュルツ、そして従卒の幼年学校生と昼食を摂っている。この4名が揃って食事の席に着くのは、ほぼ2か月に一度、軍務尚書の従卒が交替するたびの恒例行事だ。オーベルシュタインは相変わらず、食物を淡々と口に入れる。彼の場合、美味だとか不味いだとか、そうしたことも一切表情に表れぬから、飲食とは栄養摂取の別名に他ならぬように見える。オーベルシュタインの斜め向かいに座る従卒は、それがまるで食事を運んできた自分の責任であるかのように恐縮していた。そんなとき、場を和ませるのは、いつもフェルナーの役割である。この真面目なようでいて妙に調子のよい男は、この日、一段と突飛な話題を俎上に乗せた。

「なあシュルツ。卿は運命というのを信じるか?」

「運命、ですか? そうですねえ、家内に出会ったときは、運命のような気がしましたかね」

「こんな感じか?」

フェルナーは中指の背を使って、ココココンと机を打った。「運命はかくのごとく扉を叩く」。ベートーベンの「運命」の冒頭のリズムだ。意外に教養のある男なのである。

「まあ、そんなところです。しかしどうなさったんです? 突然、運命だなんて」

「それがなぁ、結婚を迫られているんだ」

「わあ、おめでとうございます! 准将」

純粋な目で祝福を送った従卒に、フェルナーは「何がめでたいものか」と返し、オーベルシュタインに向き直った。

「実はですね、小官の付き合っている女が…。あ、いや、交際している女性が」

オーベルシュタインに冷たい視線を浴びせられて、フェルナーは慌てて言いなおした。この上官は軍人の規律だ何だと口うるさく言うタイプではないが、言葉使いには厳しい。

「その女性が、私たちの出会いは運命だ、だから結婚してくれ、と、こう言うのです。しかし私としては、運命を感じないというか、運命と信じて結婚して、そうじゃなかったらどうすればいいのか、と思うわけです」

「卿は思い違いをしている。運命とは、無数にある可能性から選択され収斂した結果として現われるものをいうのだ。後になって運命でなかったというのは主客が転倒している」

三人の部下は思い思いの表情で上官の難解な言説を咀嚼した。何やら詭弁めいているが、妙に説得力があるような気もするのは、発言者が軍務尚書だからだろうか。

「つまり、この世で起こることすべてが運命だ、ということになりますな」

「なるほど」

「…なんだか、人間原理っていうのに似ていますね」

おずおずと会話に加わった従卒に無言でうなずいて、オーベルシュタインは食後のコーヒーに口をつけた。

「しかし良い機会ではないですか、准将。ちょうど会戦も一段落したところですし」

「うぅむ。そうは言ってもなぁ。シュルツは、奥方のどこが気に入ったんだ?」

「そうですね、料理上手なところかな」

「料理、なあ」

「大事ですよ、毎日のことですからね」

オーベルシュタインは、コーヒーカップの陰からちらりとシュルツを見た。彼にはよく理解できない。

妻の料理の技能がなぜそれほど重要なのか。ミッターマイヤーがよく妻女の料理の腕を臆面もなくほめているが、オーベルシュタインにしてみれば、元帥にもなって使用人も雇わぬミッターマイヤーの生活ぶりは不可解極まりない。それだけの地位を得たのならば、妻を家事労働から解放し、世人に雇用機会を提供するのが、夫の甲斐性であり、高所得者の義務であろう。富の再分配という観点からもそうあるべきだ。しかしながら、ミッターマイヤーのそうした暮らしぶりは、平民出身の兵士に好感をもって受け止められているらしい。財を溜め込む大貴族らをあれほど憎んでいた彼らがなぜそのように感じるのか、それもまた不可解である。シュルツとて曲がりなりにも佐官なのであるから、ある程度の余裕はあろうに。

オーベルシュタインはそう思いつつも、やはり常と変わらぬ無表情で部下たちの会話を聞いていた。

「まあ、私のことはともかく」

フェルナーは自分から振った話題をあっさりと打ち切り、

「閣下は『運命』なるものに一家言お持ちのようですが、ご自身にはあったのですか? 運命の出会い」

と、素知らぬふうを装って問うた。恐れを知らぬ男である。他者の目には凍りつくように鋭く映る上官の視線をさらりと受け流し、答えを催促するような表情を作る。

「…あった」

「そっか、閣下も恋をなさったんですね」

従卒は少年らしい無邪気さで、詩人のような感想を口にした。秘書官の背を冷たい汗がつたうのを感じた。

「お前は、恋がどのようなものか知っているのか?」

「え? えーと、自分だけを見てほしいってことでしょうか?」

助けを求めるように見てきた少年を、ことの発端を作った官房長は「さあ」と突き放す。

オーベルシュタインの心は一瞬、来し方を見つめていた。自分もそう思っていたのだろうか。よく思い出せないままカップの底の液体を飲み干し、席を立って執務室へ消えた。

後にはにやりと笑う官房長と、汗をぬぐう秘書官、顔面蒼白の従卒が残された。彼らの上官が心に聖域を持つなど、誰に信じられようか。感情の存在さえ疑われているというのに。

「准将、あの、僕…」

「心配するな。別に怒ってはおられない。もともとあんな感じの人なんだ」

「はあ」

「お前も閣下に冗談の一つも言えるようになれ」

「冗談、ですか? 今の、冗談だったんですか?」

「それはさすがに要求が高いでしょう、准将」

「ははは、頑張れよ」

 

翌日の昼休憩後、報告のため軍務尚書執務室を訪れたフェルナーは、緩みそうになる頬の筋肉をなんとか脳の統制下においた。

「閣下、どうなさったんですか、その、髪は」

「庁舎の地下に入った理髪店で切らせたのだ」

フェルナーの目が上官の襟足あたりを行き来する。理髪師の腕が相当拙かったのは、明らかであった。日頃から評判の悪い艦付き理髪師のほうが、まだましである。

「なんだ」

「はやくラーベナルト夫人をお呼びになったほうがよさそうですね…」

「そうか」

オーベルシュタインはまるで興味がなさそうに、手元の資料に視線を落とした。

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