IX Unter dem Siegel der Verschwiegenheit

沈黙の封印のもとに

Unter dem Siegel der Verschwiegenheit (1)

新帝国暦2年8月29日

戦没者墓地の完工式より執務室に戻ったオーベルシュタインは、万年筆のペン先が紙に引っかかる感触に眉をひそめた。インクが切れかかっている。補充するよう従卒に言いつけておいたのであるが、忘れてしまったらしい。すでに従卒は帰している時間だ。オーベルシュタインは仕方なく、自らインク壺を取りだして吸入をはじめた。これは彼の私物で、オーディンの老舗文具メーカーの没食子インクである。昔から、軍が支給するインクは色も香りも気に入らなかった。「閣下は意外に貴族趣味ですね」と、官房長のフェルナーは揶揄とも嫌味ともつかぬ無礼な感想を述べたものである。

フェルナーはもともと、ブラウンシュヴァイク公の下にいた男だ。平民の出身であるが、貴族がどういうものか、よく知っている。彼らは特権意識の強い、そのくせ個人の器量では何もなしえない愚か者どもではある。だが、その暮らしぶりは実に洗練されていた。そのフェルナーから見て、オーベルシュタインには消しようもない貴族らしさが身に沁みついている。何よりその言葉の発音が、いかにも貴族らしい。発音は一朝一夕に身に着くものではない。聞くものが聞けば、あの皇帝でさえも訓練のうえに身につけた発音と知れるだろう。所謂、お里が知れる、というやつだ。美しい発音をすると誰もが認めるロイエンタール元帥が、良い声で、自身も意識して芝居がかったふうに話すのとは違い、オーベルシュタインには生まれながらの貴族であると人に思わせるところがある。そのことがまた、他の平民出身の諸提督に嫌われる一因かもしれない、と、フェルナーは思っていた。

万年筆にインクを入れるオーベルシュタインは、思わず奥歯に力を入れた。このような雑事を自ら行うなど、久しぶりだ。そのせいか、手元が狂い、指先を汚した。皮膚が青く染まっていく。

『つまり、将来の多数の幸福のために、現在の少数の不幸は致し方ないということなのですね』

『どちらにせよ犠牲を出さねばならぬなら、一番犠牲の少ない方法を選ぶべきであろう』

『でもわたくしは、パウル様にその少数の犠牲に加わっていただきたくないと思いますわ』

――分かっている、フランツィスカ。誰もがそう思うものなのだ。

戦没者墓地で皇帝に罵声を浴びせかけた男もそうだ。もし私があの者と同じ立場にあれば、やはり為政者に憎しみを抱いたであろう。

 

しかし一部の犠牲が全体の福祉に資するとき、上に立つ者には、その一部の犠牲を選択せねばならぬときがある。最大多数の幸福の追及こそが、オーベルシュタインの寄って立つ正義である。

ただ、皇帝は後悔している。全宇宙を手中に収めた若き統治者は、苛烈な性格の持ち主であるが、一面、子供のような純真さが抜けない人でもある。ヴェスターラントのことを糾弾され、あれほど激しく動揺するとは。オーベルシュタインにはそれが、覇者に有り得べからざる弱さに思えた。

皇帝の動揺は、あの出来事が親友の死に直結しているからであるに違いない。大切なものを理不尽に奪われる気持ちを、オーベルシュタインはよく知っている。彼はかつて、その死を願うほどに、父を憎まずにはいられなかった。キルヒアイス提督が命を落としたとき、皇帝はオーベルシュタインに対し、同じような思いを抱かなかったのだろうか。皇帝は一度として、そのことをオーベルシュタインに対し言及したことはない。もしそうならば、その度量の差こそが、皇帝と自分との違いなのかもしれない。

数分後、決裁書類を携えて執務室に入ってきた秘書官は、指先とハンカチを真っ青に染めて沈思する尚書を発見することとなった。

 

翌日、早朝の尚書執務室を訪れたフェルナーは、皇帝を糾弾した男が留置所内で自害した旨を報告した。そして、端正な顔の口の端を少し持ち上げると、「昨夜、幕僚総監が陛下の部屋にお泊りになり、今朝早く、陛下が薔薇の花束を持ってマリーンドルフ伯爵邸を訪問なさったようです」と告げた。

いくら親衛隊長や側近の口が堅くとも、情報は洩れるものである。ホテルのメイド、ランドリー係、交通管制モニター、市街の監視カメラ、果ては軍事衛星まで、情報源はいくらでもある。帝国のインテリジェンスの拠点が軍務省にある以上、皇帝の私生活は軍務省情報部に筒抜けであるといってよい。

オーベルシュタインは数瞬の間、フェルナーの顔を見やっていたが、視線を卓上に転じてコーヒーに手を伸ばした。

「けじめの付かぬことだ」

コーヒーを一口飲んだオーベルシュタインの発した言葉に、フェルナーは吹き出しそうになった。道義を無視した謀略を平然と実行するこの上官が、貞操観念を云々するようなことを言うことが可笑しかったのだ。続いて「噂が立たぬよう気をつけよ」と命じられ、ますます意外に思った。

「この際、逆に噂を拡散して外堀を埋めてはいかがですか」

起こったことは最大限に利用するのがオーベルシュタインのモットーであったはずである。マリーンドルフ伯爵令嬢を皇妃に冊立することに、軍務尚書が一貫して反対してきたことは、フェルナーとて知らぬわけではない。だが、いずれ皇妃が必要なことは確かだ。この際、国務尚書の令嬢という政治的問題に目をつむっても、自身の結婚問題に消極的な皇帝を追いつめてはどうか。一夜を過ごした翌日に求婚に訪れたところをみても、あの皇帝は女性関係に潔白であるようだ。これは降って湧いたような機会ではないか、というのがフェルナーの考えであった。

しかし、オーベルシュタインは、

「嫁入り傷となろう」

と更にフェルナーの予想だにしないことを言った。つまり、伯爵令嬢の名誉を守ってやれということだ。確かに、たとえ皇妃に迎えられることになっても、周囲の誰もが皇帝のお手付きであると知っていては肩身も狭かろう。まして他の男のもとに嫁ぐことになっては尚更である。

喰えない情報将校であるフェルナーは、宇宙艦隊の諸提督の周辺を探るついでに、この謹厳冷徹な上官についても調べている。他の軍幹部と異なり、この男には女の影がまるでない。現在過去を問わず、交際した女性もいないようであるし、娼館にも足を向けない。ならば男に興味が向いているのかといえば、そのような事実も出てこない。木石も同様である。

――まさか、いい歳をして女を知らぬわけではあるまいな。

フェルナーは半ば本気でそう思っている。ありえなくもない。いまどき、幼年学校の生徒でも口にせぬような倫理観を披露したばかりである。潔癖すぎて誰とも交渉を持たないこともあるだろう。

オーベルシュタインはすでにコーヒーを飲み終え、未決箱の書類に手を伸ばし始めている。これ以上、この話をする気がないという意思表示であった。フェルナーはこの興味深い上官に対する関心を強めざるを得なかった。

 

午後、大本営に報告に赴いたオーベルシュタインを待っていたのは、やや集中力を欠いた皇帝であった。

「軍務尚書」

報告を終え退出しようとしたオーベルシュタインを、皇帝が呼び止める。

「何でしょうか」

若き皇帝は執務机に頬杖をついて一度窓の外へ目を向けると、オーベルシュタインの長身を睨みつけるように見上げた。

「以前にも聞いたが…、卿はなぜ家庭を持たぬのだ」

即位後まもなく、皇帝に結婚をすすめた際にも、オーベルシュタインは同じことを問われた。貴族階級の生まれで、軍の士官という歴とした仕事を持ち、経済的にも恵まれている男が、なぜ結婚をせぬのか。その疑問は彼の目が義眼であることを知れば、たちまち納得を得て解消されるのが常である。劣悪遺伝子の保有者は子孫を残すべきではない。それはゴールデンバウム王朝に生を受けた者の固定観念といってよい。

しかしこの皇帝は、そうした既成概念とは無縁なのである。だからこそ、オーベルシュタインの目が義眼と知りながら、このような質問をすることを憚らぬのだろう。表情にこそ出さなかったが、オーベルシュタインは主君の英明さを喜び、その主君に賭けた自らの選択が誤りではなかったと確信した。そして、この卓越した個性の下で、公正で安定した王朝を築き、それを長く伝えていきたいとの思いを強くしたのだった。

「オーベルシュタイン、聞いておるか」

「はい」

――さて、これは求婚の返事を保留されたか。

オーベルシュタインは若者が情緒不安定な状態にあることを見てとったが、表情筋の一筋も動かさずに、

「陛下には、皇妃を迎えるご決心をなさいましたかな」

と、問い、唇をきゅっと結んだ皇帝が何か言おうとする前に口を開いた。

「よろこばしいことです。宮内省にて候補者をあげております。家柄、係累、容姿、教養、どれも問題ございません。何名かお会いになって、共にいて心の安らぐ方をお選びになればよろしいかと存じます」

「安らぐ、か。以前、上官だった男に言われた。将兵が娼館に赴くのは一時の安らぎを求めてのことだ、いちいち眉をひそめるな、とな。だが、予は女性に頼ろうとは思わぬし、皇妃にそのようなものを求めもせぬ」

では昨夜、女にすがったのは誰か。皇帝の目には、オーベルシュタインの目に嘲笑の色が浮かんだように見えた。むろんこれは皇帝の心にあるやましさがそう見せたのであって、オーベルシュタインの目は何の感情も宿してはいない。

「陛下。ご成婚が公的なものであることは確かですが、後宮は陛下ご自身の家庭という側面もあるのです。家庭とは互いを尊重し、互いを支えあって営まれるものです。一方的に依存し、甘える場所ではありません」

「もうよい」

皇帝は、まだ言い足りぬようなオーベルシュタインを黙らせると、「卿から修身の教師のような台詞を聞くとはな」と刺のある口調で言った。

「それで、卿はなぜ結婚せぬのだ。予の質問にまだ答えておらんではないか」

「以前も申し上げましたとおり、オーベルシュタイン家が滅びても世人は嘆きすまい」

皇帝の不満げな顔を見て、オーベルシュタインは「それに」と言葉を継ぐと、

「私はもはや、そうした存在を見出すことができぬのです」

と答えた。

退室するオーベルシュタインの足音を聞きながら、ラインハルトは後悔していた。どう考えても、語る相手を誤っている。別に相談したかったわけではない。これまでとて、オーベルシュタインと私的な会話をすることなど皆無であった。現に即位後まもなくオーベルシュタインが結婚をすすめたときは、にべもなく追い払った。昨日、オーベルシュタインが糾弾者の前に立ちふさがった姿を見たからとて、彼と友になろうなどという気はまるで生じない。

どう考えても、結婚の話題を出すにふさわしい相手ではなかった。あの男も言っていたではないか、AアーにはAアーに向いた話、BベーにはBベーに向いた任務がある、と。その理屈から言えば、ミッターマイヤー元帥などのほうが、よほど適切であるように思われる。

もしラインハルトにいつもの鋭敏さがあれば、あるいは冷厳な軍務尚書が彼に似合わぬ情緒的なことを口にしたことに気付いたかもしれない。しかし若い皇帝は、自身の感情に向き合うことで精いっぱいであった。

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Unter dem Siegel der Verschwiegenheit (2)

新帝国暦2年9月

皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは、文化的生活を送るのに忙しい。側近の目には、皇帝がそのような生活を心から愉しんでいるようには見えなかったが、皇帝の近況を伝えるそれらの報道は、戦争に倦みつかれた全宇宙の人々に、一定の安堵感をもたらした。いずれ皇帝は、イゼルローンに立て籠もる共和主義者を討伐するため、軍を動かすことになるだろう。だが宇宙は、この若者の手に帰したことで、ひとまずの平和がなったのである。

その夜、フョードロフ不動産前オーナーの未亡人であるフランツィースカ・フョードロワは、オペレッタの招待状を書いていた。彼女は戦災孤児を支援する団体を主宰している。このオペレッタは、団体の運営資金を集めるためのチャリティ公演だ。宛先は軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン。軍の重鎮は近頃よく皇帝のおともで劇場や美術館に足を運んでいるようだが、ついぞ軍務尚書の名前を見たことはない。もしオーベルシュタインを招くことができれば、かなりの宣伝効果を得られるはずた。

だが、オーベルシュタインはおそらく来ないだろう、とも、彼女は思っている。戦災孤児を作り出す元凶は軍である。そのトップであるところの軍務尚書が戦災孤児支援のチャリティに顔を出すというのも、何かおかしなことのような気もする。そもそも、軍務尚書の職責は軍政を滞りなく運行することであって、弱者救済は民政省の管轄である。そうした意味においても、オーベルシュタインの出席は筋が違う話だ。彼ならそう言うだろう。

ヒョードロフ夫人がオーベルシュタインの面白みのない顔を思い出し、口元に笑いを浮かべたとき、部屋の回線が小さな電子音を立てた。軍事用を民間転用した秘匿回線である。このラインでアクセスしてくる者など、ほとんどいない。訝しがりながら接続ボタンを押した彼女は、思わず大きな声を上げた。

「まあ、ドミニク!」

ビジフォンの向こうでは、細面の美しい女が微笑みを浮かべていた。

「こんばんは、先生」

「久しぶりね。元気だった? 今、どこにいるの?」

女、ドミニク・サンピエールは、視線をそらせた。

「しばらくフェザーンを離れるの」

「フェザーンを? そう…。ルビンスキーさんと赤ちゃんも、一緒なの?」

「え?」

「この間は驚いたのよ。いきなり看護師だとか、産着だとか言い出すのですもの。お父様はやっぱりルビンスキーさんなのかしら、と思っていたの」

 

初夏の頃であったか、今のように突然連絡をしてきドミニクは、意外なものを手配してほしいと頼んだのだった。「先生なら金で口封じをする必要性のない、本当に信頼できる人を紹介してくれると思うから」と。

 

「私とあの男の子供?」

ドミニクは苦く微笑んだ。

「冗談でしょ。あの男はもう駄目なのよ。ただね、この10年自分が何をしてきたのかを、見届けたいだけ。一度は本気だったんだしね」

「ドミニク、困っているのではないの? 何か、私にできることがある?」

「ないわ、何も聞かないで。ただお別れをしたかっただけなのよ。さようなら、先生」

対話は、あっけなく終わった。暗くなったヴィジフォンの画面から青碧の瞳をめぐらせ、フョードロフ夫人は窓の外を眺めた。高層階から見下ろす夜のフェザーンは、美しい夜景に彩られている。遠くに、休むことなく運行を続ける軌道エレベーターが天上へと続く階段のように輝いていた。

 

25年前、クラヴィウスと別れ、娘を手放してフェザーンに戻ってきた彼女は、子爵家から渡された金を元手に、フェザーンの下町で音楽教室を開いた。子供たちに歌と踊りを教える小さな教室だ。子供たちとともに過ごす時間は、娘と別れた彼女にとって、悲しくも慰めを得られるものであった。

教室がいくらか軌道に乗ってきた頃のことだ。夕方になると、毎日のように、窓枠に手をかけて室内をじっとのぞきこむ女の子がいることに気が付いた。中の様子を、瞬きもせずに見ている。

「音楽が好き?」

ある日そう話しかけた彼女に、その子は薄汚れた顔をこくんと上下させた。

女の子は、教室から通りを数本入った裏町に住んでいた。名をドミニク・サンピエールという。娼婦家業の母親が商売をする間、一部屋しかない家から出され、あてもなく街をうろつくのが常だった。そんなときに、この教室を見つけたのだ。教室の先生はとてもきれいな人で、優しい声で歌をうたった。幼いドミニクには、本物の天使ではないかと思えたほどだ。

先生が声をかけてくれてから、ドミニクは、他の生徒たちがレッスンを受けるあいだ、教室の奥の部屋に隠れて一緒に歌ったり踊ったりすることを許された。他の子供が帰ったあと、個人的にレッスンをしてもらえることもあった。二人だけの秘密である。

ドミニクが10歳のとき、先生は富豪に見初められてヒョードロフ夫人となった。教室はなくなったものの、先生のつてと彼女の実力とで、奨学金で音楽教育を受けられる学校に入学することができた。そこから、女優、歌手、ダンサーとしての、ドミニクのキャリアがはじまったのだ。ドミニクにとってフランツィースカ・フォンヴィージナは、新しい世界の窓を開いてくれた人であった。

 

高層階の窓から、ヒョードロフ夫人はかつて自身が暮らした下町を探した。ドミニクがルビンスキーと親しくなったことは知っていた。それぞれの愛する男が対立関係にあったとしてとも、二人の間に流れる、師弟の情というべきものが変わることはなく、時折こうして連絡を取り合うこともやめなかった。それがもう、最後になるというのか。夫人はまた、娘を失ったような気持ちになった。

軍務尚書はルビンスキーを探しているはずた。ドミニクから連絡を受けたと、彼に知らせるべきだろうか。もし知らせたら、あの子はどうなるのだろう。

 

それから数日後、オーベルシュタインに宛てたオペレッタの招待に対し、丁寧な断りの手紙が届いた。美しい色のインクで、少し傾斜のきつい文字がつづられている。軍務尚書の自筆であろうと思われた。

帝国銀行ライヒスバンクを通じて、彼女の主宰する戦災孤児支援団体に匿名の寄附があったのは、それからしばらく後のことである。

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Unter dem Siegel der Verschwiegenheit (3)

新帝国暦2年11月16日

皇帝はこの日ついに、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥に対し、ロイエンタール討伐の命を下すに至った。ミッターマイヤーは勅命を受けた。彼が打たねば皇帝が親友を打つことになる。それに耐えられなかったのだろう。オーベルシュタインはそのように思った。

これに先立つ10月、皇帝はロイエンタール謀反の噂を否定するためか、その招請に応える形でハイネセンに行幸しようとしたが、その中途、惑星ウルヴァシーで生じた事件により、しばらく行方が知れず、帝国中枢の人々の心胆を寒からしめている。

多くの人々にとって、新領土ノイエ・ラント総督オスカー・フォン・ロイエンタールの謀反は決して意外なものではなく、懸念が現実になったという感が強かった。というのは、この秋口から、新帝都・フェザーンではロイエンタール造反の噂が、そこかしこで囁かれていたからである。噂の出どころは今一つはっきりとしない。新領土の旧反徒であるとか、自治領主の地位を追われたルビンスキーであるとか、かねてよりロイエンタールと対立しているラングであるとか、世人は好きなことを言った。

そのうち最も支持を得た言説は、オーベルシュタインがロイエンタールを陥れようとしているのだ、というものである。根拠などない。陰謀あるところにオーベルシュタインあり、という、印象のみで語られているにすぎない。そのためか、このほどのロイエンタール討伐命令についても、彼に同情する者たちからは、はやくも、「軍務尚書をこそ糾弾すべし」との声が上がり始めている。

しかしながら、当のオーベルシュタインはそのような噂など全く意に介さぬかのように、日々の執務をこなしていた。討伐命令が下されたこの日も、居住不能地帯アネクメーネと化したヴェスターラントの再テラフォーミングに関する会議に参加している。軍の行動によって生じた結果は軍によって恢復されるべきだ、として、軍の技官らを中心にプロジェクトの詳細が詰められているところだ。実際にまた人が住めるようになるには、かなりの時間を要するであろうが、ヴェスターラントをリップシュタット戦役以前の、いやそれ以上に豊かで住みやすい惑星に作り変えることは、何より皇帝の意思でもあった。

ロイエンタール討伐の決定について、オーベルシュタインは普段の彼らしくなく、皇帝に意見具申することがなかった。そのことがまた、ロイエンタールを追い詰めた張本人と人々に見なされる一因ともなっている。だが逆に、彼が意見具申したならしたで、やはり誹謗を受けたろう。オーベルシュタインの人となりゆえである。

オーベルシュタインはロイエンタールの謀反の理由に、何ら共感するところがなかった。あの男はいったい何が満たされぬのか。ロイエンタールは皇帝とはまた違った危うさのある男として、オーベルシュタインの目には映った。おそらくロイエンタールは、皇帝と無言のうちに申し合わせて戦を起こしたのだ。干戈を交えることを決めたとき、両者の胸にはある種の喜びがあったはずだ。

ロイエンタールはともかく、戦を好む皇帝など、これからのローエングラム王朝には不要である。皇帝のあの性質だけは何としても抑えねばならぬ。なぜ私心のために無用の血を流すのか。いたずらに生命と財産を浪費する必要はないはずだ。矜持のためだなどと、愚かな感情論である。自らの片腕たる元帥を一人失うことで、皇帝に自制のくさびを打ち込みたい。

オーベルシュタインはそう思った。

 

皇帝がロイエンタールの元帥号を剥奪した翌日のことだ。官房長兼情報局長のフェルナーが、「憶測を含みますが」と前置きしつつ、マリーンドルフ伯爵令嬢が懐妊したようだ、と告げた。いわく、伯爵邸に産婦人科医が呼ばれた。フロイデン山荘との間でFTL回線を開いており、おそらくグリューネワルト大公妃殿下に相談したのであろう。そうした事象から導き出した結論である、ということだった。報告を受けた軍務尚書は、口元に持ってきたコーヒーを飲むことなく、そのままソーサーに返した。

「……懐妊、だと」

数瞬、フェルナーの顔をながめたオーベルシュタインは、それだけ言うとあらためてコーヒーを口にした。

――さすがの軍務尚書も二の句が継げぬか。

皇帝と伯爵令嬢との一夜にかかる噂が立たぬよう気を使ったというのに、懐妊となればそうはいくまい。フェルナーとしても、情報秘匿に苦心しただけに苦笑するしかないというところだ。何かというと、この冷徹な上官の心情を好意的に解釈しがちなフェルナーは、この男が若い二人を年長者の目で見守っていたのではないかと考えている。伯爵令嬢のこととて、皇妃にはふさわしくないと思っているだけで、彼女個人の才幹はむしろ好ましく思っているように見えた。

「どうなさいますか、閣下」

この期に及んでどうにかなるものでもあるまいが、と思いつつ、フェルナーは一応上官に確認した。いくらなんでも皇帝の子を殺せとは言わぬであろう。

「新領土が騒がしいゆえ、フェザーンにおいても要人警護を強化する」

それが軍務尚書の下した決定であった。

 

それから約一か月後、ロイエンタールは落命した。ミッターマイヤーはエルフリーデ・フォン・コールラウシュの生んだ親友の子を連れて、フェザーンに帰還した。

子供のためには、それが良かったのだろう、と、オーベルシュタインは思う。リヒテンラーデ侯と反逆者ロイエンタールの血筋となれば、旧王朝の貴族階級を糾合し、反ローエングラム王朝の象徴とするに十分な名目となる。廃帝エルウィン・ヨーゼフ二世の行方が知れぬ今、有力な後ろ盾でもあれば、その幼子が担ぎ出されぬとも限らない。しかしローエングラム王朝の元帥の子として育つなら、そうもいくまい。有能な戦略家オスカー・フォン・ロイエンタールには、そこまでの計算があって、ミッターマイヤーに息子を託したのかもしれなかった。

皇帝の子として生まれてくる子と、反逆者の子。オーベルシュタインは、二人の赤子が背負った運命を思った。

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Unter dem Siegel der Verschwiegenheit (4)

新帝国暦3年1月29日

オーベルシュタイン家の執事ラーベナルトは、このフェザーンのオーベルシュタイン邸が気に入らない。

平屋である。天井は低く圧迫感がある。ドアはすべて引き戸である。敷居もない。つまるところ病院や高齢者介護施設といったものを連想させる造作なのだ。

備え付けの調度が、またなんとも軽薄である。ラーベナルトにとって家具とは、重厚な天然材で、磨けば磨くほど輝きが増すものだ。それがこの家には、不用意にこすれば塗料が剥げでもしそうな量産品しかない。合板のダイニングテーブルを見たときなど、情けなくて涙が出そうだった。

この趣も何もあったものではない家は、無障碍建築という様式で建てられているらしい。

「犬が過ごしやすかろう」

と、主人は言った。しかし、執事はその言葉を信じない。主人がこの家を選んだのは、最近足腰が弱ってきて自分たち夫婦のために違いないと、彼は思っている。かつてオーベルシュタイン子爵家の領地では、城の長い階段を自在に上り下りしたものだが、ここ数年は旧都の屋敷で2階に上がるにも膝が痛むようになった。潮時なのである。 主人の世話どころではない。もはや自分たちが人の世話を受ける年齢になってきたのだ。

ラーベナルトは、昨年の夏、主人がオーディンを離れるにあたり、新しい使用人を入れて屋敷を下がりたいと申し出た。その申し出は、「考えておく」という返事を得たまま棚上げになり、結局、主人に呼ばれてフェザーンへ来てしまった。主人が本当に考えているのかどうか、ラーベナルトには分からない。

執事は、主人らが命がけで打倒した旧貴族社会に一抹の郷愁を感じずにはいられない。彼は人の手を掛けることが豊かさの象徴であった旧王朝を生きてきた人間である。そのせいであろう。家事の大部分がロボット任せで、何もかも合理性が優先されるようなフェザーンの暮らしに馴染めないでいる。

主人はどうなのだろう。オーディンの屋敷をそのままにしている以上は、いずれ旧都に帰るつもりなのかもしれない。ラーベナルトにとっても、あの屋敷はオーベルシュタインが幼年学校に入学した年から30年住み続けた場所だ。懐かしかった。

 

皇帝の婚礼が行われたこの日、フェザーンは慶祝の空気に包まれていた。それは夜になっても止むことなく、いやむしろ、酒精を帯びて色濃くなっていった。そんな中にあって、なおひっそりとした佇まいを保ち続けるオーベルシュタイン邸を、訪ねる者があった。

「お、奥様…」

執事は細い覗き窓から、外を凝視した。門灯の薄明かりの中に女が立っている。昼から降り続いた雪で、狭い庭はすでに白く覆われていた。

「フランツィースカ・ヒョードロワと申します。軍務尚書にお目にかかりたいのですが」

同じ顔、同じ声、同じ色の瞳。それらは悲哀と後悔とに彩られた執事の記憶を呼び起こした。あの雪の日に亡くなられた奥様が、お帰りになったというのか。いや、そんなはずはない。そんな非常識なことがあるわけがない。彼は息をするのも忘れていた。

「あの、閣下にお取次ぎくださいますでしょうか?」

「は? 閣下? は、はい、ただいま」

違う、奥様ではない。違う。開いたドアから吹き込む風に、冷たい粒が入り混じる。ラーベナルトは女を応接間に通し、主人を呼びに行った。平素、彼の主人が来客を一切受け付けぬことなど、すっかり失念していた。

 

私服姿のオーベルシュタインには、いつもの謹厳さがなく、物静かな貴族にしか見えない。フランツィースカ・ヒョードロワは、オーベルシュタインのあとをよろよろと付いてきた犬に瞳で微笑みかけて、口を開いた。

「突然お訪ねして申し訳ございません。実は閣下に、お願いがあって参りました」

「夫人、私と貴女とは利害関係者だ。そうした懇請は一切お受けできない」

「承知しております。ただ、代わりに、アドリアン・ルビンスキーの消息に関する情報をご提供しますわ」

オーベルシュタインを包む空気がかすかに揺らいだ。

「…伺おう。ご依頼の如何によっては、やはりお受けできないが、それでも宜しければ」

暖炉を模した電気ヒーターの前に伏せた犬が、大きくあくびをして、腕の間に頭を沈めた。犬は最近、ほとんどの時間を寝て過ごしている。耳も遠く、かなり大きな声で話しかけても聞こえているのかどうか定かでない。視力はほぼ失ったようで、頭を打ってもよいように邸内の角ばった部分には緩衝材を巻いてある。

 

フランツィースカ・ヒョードロワからもたらされた情報の価値を、オーベルシュタインはとっさには判断しかねた。彼女はルビンスキーの情婦と懇意であるという。その情婦ドミニク・サンピエールが寄越したビジフォンの内容からして、ルビンスキーはすでにフェザーンを離れたはずだ、というのである。

「夫人、ドミニク・サンピエールは、ルビンスキーのことを『もう駄目だ』、『見届けたい』と、そう言ったのですな?」

「ええ」

オーベルシュタインは瞑目した。どういう意味だ。この頃、奴は足がつくことも恐れず工作を仕掛けてくる。今日報告のあったハイネセンの暴動にも、絡んでいる気配がある。

何を焦る。皇帝に跡継ぎができたことを知ったせいだろうか。いや――

――死期が近い、のか。

そうであれば、間違いなく重要な情報である。

「ご提供いただいた情報は、有効に活用させていただこう。それで夫人、私の助けを必要とすることとは?」

「エルフリーデ・フォン・コールラウシュを保護して欲しいのです。居場所はおそらく、ドミニクが知っていますわ」

「コールラウシュ?」

フョードロフ夫人の口から出たのは、あまりに意外な名であった。

「今日、陛下のご成婚の儀の様子を中継を見ました。ロイエンタール元帥のお子様も参列されておいででしたわね」

ロイエンタールの遺児はミッターマイヤー元帥夫妻の子として、参列を許されたのだ。それは、ロイエンタールに対する銀河帝国の政治的立場を、改めて内外に示すものでもあった。

「きっと彼女も見ていたことでしょう。それが我が子にとっての幸せだと分かってはいても、母親は後悔するものです」

 

――わたくしもそうだった。

と、ヒョードロフ夫人は思った。娘は子爵家で幸せに暮らしている。そう自分に言い聞かせても、やはり手放さなければよかったと悔やみ続けた。

クラヴィウス家の弁護士がオーディンの下町を訪ねて来た日のことを、夫人は忘れたことがない。

 

その日、彼女は重い心を引きずりながら、慣れない勤めから家に戻った。娘の父が去り、生活が困窮して、近所の洗濯屋で奉公を始めたのだった。古い借家の入り口の階段に大家の老婆が座り、金貨をもてあそんでいた。

「立派な紳士が訪ねてきたんでね、入ってもらったよ」

「紳士?」

ひどく嫌な予感がした。娘が一人で待つ家に、見知らぬ男を入れたことに腹もたった。

「箱をわんさか抱えてたね」

「…ありがとう」

焦燥の中、斜めに傾いた細く急な階段を昇る。途中、2階に住む中年の夫婦が罵りあう声が外まで響いていた。夫のほうは傷痍軍人だ。大工だったが、戦傷を受けて戦地から送還された後、仕事ができなくなってからは、いつも飲んだくれている。

部屋に入ると娘がかけよってきた。後ろを子犬がついくる。こんな弾けるような笑顔を見たのは、いつぶりだろうか。

「…フランツィスカ、あちらのお部屋で少し遊んでいて」

窓辺に立つ若い男は、クラヴィウス家の顧問弁護士だと名乗った。

「クラヴィウス子爵は、伯爵家から奥方を迎えられることとなりました。初めは渋っておられましたが、お嬢さまを嫡出子として子爵家の籍に入れることを条件に承知なさったのです」

彼女はうなだれたまま、弁護士の話を聞いていた。

「貴賎結婚は認められぬが道理。お嬢様に継承権が与えられるのですから、悪いお話しではないと思いますぞ。失礼ながら、このような暮らしではお嬢さまに最低限の教育を受けさせることもできぬでしょう。お屋敷にいらっしゃっれば家庭教師や専門のお世話係もつきます」

弁護士は何の反応も見せぬ女に、しびれを切らしたらしい。一方的に話を打ち切った。

「またご連絡します。何がご令嬢のためになるのか、よくよくお考えを」

彼女はつい先ほど、日銭を稼いでいた洗濯屋を辞めてきたばかりだ。店の主人に関係を迫られたのだ。金貨を握らされ、娘の面倒を見てやってもいいとささやかれた。どうにか拒んだ彼女であったが、一瞬、その金貨に目を奪われた。

もう無理だと思った。日々の暮らしに追われて、荒んでいく。

「小さなフランツィスカ。あなたは、お父様と一緒に暮らしたい?」

「はい!」

「そう。そうね、きっとそのほうがいいわね…」

 

追憶に沈む青碧の瞳を、オーベルシュタインは無理やり視界から追い出した。クラヴィウス家に引き取られた後のフランツィスカは決して幸せではなかったのだ、と、彼には言えなかった。彼の父が彼女の娘をブラスターで打ち殺したのだとも、言えなかった。

「夫人。エルフリーデ・フォン・コールラウシュのことは善処しましょう」

ヒョードロワ夫人は、目に涙をためたラーベナルト夫妻に見送られ、オーベルシュタイン邸を後にした。執事夫妻は使用人の分を守って何も聞かなかったが、夫人が亡くなった奥様の血縁者、おそらく実の母親であることを知っていた。

オーベルシュタインはカーテンの隙間から、門扉を出て地上車に乗り込む夫人の姿を見ていた。雪の上に新しい足跡ができていく。

雪は、好かない。

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Unter dem Siegel der Verschwiegenheit (5)

新帝国暦4月25日

4月17日の深夜に発生したラグプール刑務所の暴動事件に関し、オーベルシュタインは皇帝から叱責をこうむった。ラグプールに収監した政治犯らは、イゼルローン占拠軍との交渉材料とするはずであったが、今般の暴動により、帝国は結果として、自ら手を下さずして銀河帝国の憂患となりうる多数の人々を葬り去ることとなった。

その皇帝の臨御をひかえ、ハイネセンは高揚している。皇帝がこの事態をおさめてくれるだろう、というひそやかな期待が、市民の胸にはあるのだ。専制君主制というあり方に対する反感はあれど、ラインハルト・フォン・ローエングラムという強烈な個性は、やはり人を引き付けてやまない魅力をもっている。人の心のどこかには、常に救世主メシアを待望する思いがあるのだろう。

同時に、新領土の人々の怨嗟の声は、オーベルシュタインの一身に集中している。皇帝は不逞の臣を懲罰した名君として、名声を高めるに違いない。どちらにせよ、帝国にとって悪い結果ではなかった。

暴動の中、実質的に軍務尚書の副官をつとめていたフェルナー准将が負傷し、オーベルシュタインは多少いらいらしている。従来、フェルナーに処理を任せていた諸件が、何もかも彼のところまで上がってくるからだ。フェルナーの見舞いに行ってきた秘書官によれば、日頃ふてぶてしいあの男が、さすがに今回の失態にはしょぼくれていたらしい。

「ですが、そうご心配もいらないと思います。馴染みの酌婦への言づけを頼まれましたから」

と、シュルツは無意識にフェルナーの評価を下げるようなことを言った。

 

昼食時はできるだけ外に出るのが、オーベルシュタインの長年の習慣だ。食事自体は執務しているホテルの厨房から運ばせているが、やはり外の空気は吸いたい。穏やかな春の日がそそぐホテルの中庭で、オーベルシュタインは空を見上げた。オーディンともフェザーンとも、微妙に色合いの異なる空である。

皇帝がやってくる。また、戦闘が繰り広げられる。無数の死が積み上がる。

オーベルシュタインは最も犠牲の少ない方法で事態をおさめたかった。死は、より多くの幸福に貢献してこそ、価値があるはずだ。戦争は大義のもとに遂行される。しかし大義などというのは、如何様にも定めることができのものである。そのような言葉を頼りに将兵を死地へ送るならば、結果として得られるものと死者の数とには、バランスが取れているべきだ。等式にならぬ計算式は、美しくない。 計算式の片側にだけ死者の数が積みあがって行くことが彼には耐えられない。

ビッテンフェルトと鋭く対立することになった要因もここにある。あの猛将の前で皇帝を批判してみせたのは、自身の策を邪魔させぬためでもあったが、同時にオーベルシュタインの本心であったことにも間違いなかった。

「ポール!」

オーベルシュタインは思わず振り向いた。足元に子犬が走り寄ってきて、彼のズボンにまとわりつく。鳶色の毛に巻尾を持つ、帝国本土ではあまり見ない種類の犬である。不覚にも子犬の接近を許した護衛官は、あるものは犬に銃口を向け、あるものは犬を追ってきた少女を威嚇した。少女は4、5歳くらいに見えた。やはり帝国本土では見ることの少ない真っ黒な髪をおさげに結っている。

「犬を迎えに来たのであろう」

護衛官による誰何と略式の身体検査を経て、少女は軍務尚書に近づくことを許された。恐ろしいのだろう。犬のあごをさするオーベルシュタインを不安げな瞳でまっすぐに見つめ、小さな声で話しかけた。

「小父さんは犬が好きなの?」

「そうだな。…これは、何という犬かな?」

「ポールよ」

オーベルシュタインは犬の種類を聞いたのであるが、少女は犬の名を答えた。

「ポールか。私と同じ名だ」

「そうなの? ステキ」

少女は初めてニコリと笑った。同じ名だが、彼らの発音で聞くとまた違う印象である。

「ポールはね、パパからのお誕生日プレゼントなのよ」

「父上から」

「ええ、パパはハイネセン記念大学の先生なんだけど、早くおうちに帰れるように、ママと一緒にお願いに来たの」

「そうか」

母娘は軍務省へ陳情に来たのだ。オーベルシュタインは子犬を抱いて去っていく少女の背中を目で追った。暴動による死者の名簿に、少女の父の名があるかもしれない。だが、そのことに思い当たっても、彼の鉄の精神が揺らぐことはない。

揺らいではならないのだ。

 

4月29日、軍務省は前フェザーン自治領主にして国事犯アドリアン・ルビンスキーの拘禁を発表した。全宇宙のカルテと実際の患者とを照合するという、想像を絶する作業の果てに、ようやく得られた成果であった。

ルビンスキーは、生命の終わりを迎えつつあった。

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