Pre-Episode -2

プレエピソード-2

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    プレエピソード-2

帝国暦472年2月14日

「払えないとは、どういうことですの!?」

「お聞きのとおりです、奥様」

ハンカチで首の後ろを拭きながら答えたのは、クラヴィウス家の顧問会計士である。

「残念ながら、ご当家の預金口座にはそれだけの現金がございません。奥様の借入金を返済しようとすれば、直ちに抵当権が実行され、一切の家財を手放すことになりましょう。」

「一切?」

「領地も、お屋敷も、すべてです」

会計士は、瞬時に血の気を失った奥方を視界から追い出し、書斎机の子爵に目を向けた。

 

クラヴィウス子爵―シュテファン・フォン・クラヴィウス。オーディン師範大学で鳥類の分類学を研究する学者である。貴族には珍しく善良な男なのだが、経済観念のほうはご多分にもれず、はなはだ未発達と言わざるを得ない。彼はとうに何か諦めた表情で奥方を見ていた。

クラヴィウス家の嫡子である彼が子爵家を継いだとき、家計は破綻寸前であった。そもそもは三代前の当主が投資に失敗し、莫大な借金を作ったのが原因である。だが誰も、豪奢な生活を改めることなど考えもしなかった。クラヴィウスの曽祖父も、祖父も、貴族社会の親類縁者からはもちろん、平民の商人からも借入れを重ね、やがて借金で借金を返すありさまとなり、そして父の代にはついに、帝室からの恩賜公債まで抵当に入れてしまった。

クラヴィウス自身は子爵家の将来になどに興味がない。むしろ破産してしまえば、家を離れて自由の身になれると思っていたくらいだ。

しかし、債権者のほうはそうはいかない。なぜなら、彼らは担保物件の評価額以上に貸付けをしていたからであり、同一の物件に二重三重の抵当権が設定されていたからである。破産などされては、十分な弁済を受けられなくなるのだ。

そこで債権者たちは、クラヴィウスの後見人である老人を頼った。この老人を中心として債権者委員会を構成し、委員会から会計士を派遣して、クラヴィウス家の財務を管理させることにした。毎月の返済額を定め、クラヴィウス家の家計に厳しい制約を付けたうえで、返済を猶予し、自らの債権を守ったのである。

返済のあてが全くないわけではないのだ。クラヴィウス家がオーディンから遠く離れた惑星に所有する領地には、鉄鉱床を持つ山岳地帯がある。僻地、悪環境、労働力不足という不利な条件が重なって開発が進んでいないが、それでも毎月の返済を続け、かつ、クラヴィウス家が貴族としての体面を保って生活するだけの収益はあがるだろうと見込まれた。

そしてクラヴィウス子爵は、後見人たる老人の姪孫てっそんを妻に迎え、彼が借金の返済を継続することの証とした。当初、子爵は頑迷に抵抗した。だが結局、周囲の圧力に抗することができなかった。10年前のことである。

 

今、その妻が彼の知らぬ間に巨額の借金を作り、返済を迫られているというのであった。

「破産しよう。財産を捨てれば借金も消えるのだろう」

子爵は借金のごたごたで振り回されることに疲れ果てている。大学の教員宿舎にでも入って俸給だけで暮らしたほうが、よほど気楽だろうと思うのだ。

会計士は子爵に反論せねばならなかった。ここで破産などされては債権者が不利益をこうむることになる。彼はクラヴィウス家の顧問会計士には違いないが、その報酬は債権者委員会から出ているのであるから、どちらに忠誠を尽くすべきかは自明のことだ。債権者の利益を守ることこそが彼の仕事なのである。

しかし、先に声をあげたのは奥方のほうだった。

「あなたはジークベルトがどうなってもいいとおっしゃるの!?」

周波数の高い金属的な音が二人の男の鼓膜を震わせた。

「あなたがジークベルトのために何もして下さらないから、わたくしが苦労を重ねているんじゃありませんか! ご自分の息子が可愛くはないのですか!?」

 

ジークベルトとは、8歳になる夫妻の長男である。

クラヴィウス子爵は鳥の研究だと言っては遠い惑星に出かけ、ほとんど屋敷に戻らない。オーディンの社交界とも断絶している。クラヴィウス家は夫人の孤軍奮闘をもって何とか貴族社会の一隅にとどまっているといってよかった。

にもかかわらず、この夫は会計士と一緒になって彼女の行動を制限し、振出限度額のついた小切手しか渡してくれないのだ。ろくにドレスを新調することも、宝石を買い足すこともできず、夫人はいくたび肩身の狭い思いをしたことだろうか。

不満が堆積し続けるなか、昨年の暮れのことである。夫人はやっとの思いで、ある公爵夫人の誕生日パーティーへの招待状を手に入れた。帝室につらなる尊い身分の方で、何よりジークベルトと同年の子息がある。息子のために関係を作ってやるまたとない機会であった。

――贈り物はやはり骨董にしよう。

昨今、帝国の貴族社会では骨董がもてはやされ、どこへ行ってもその話題で持ちきりである。収集に投機の要素が加わり、貴重な逸品は天井知らずの値上がりであるという。公爵夫人も骨董に夢中との噂であるから、誕生日パーティーの招待客は競って骨董を贈り物にするだろう。

クラヴィウス子爵夫人が屋敷に呼んだ骨董商がすすめたのは、セーヴル焼の優雅なティーカップであった。繊細な姿と明るい色合いが、いかにも貴婦人に好まれそうである。価格は50万帝国ライヒスマルク。安くはない。いや、彼女が自由にすることのできる金額を大きく上回っている。

迷う彼女に骨董商は言った。

「失礼ながら、些少でしたらご融通いたしますよ。オリジナルの完品など、この機を逃しては二度と手に入りませんでしょう。ここだけの話ですが、どこのお屋敷でも多少の無理をしてお求めになられるものです。良い品は引く手あまたですから」

もし公爵夫人のサロンに出入りできるようになれば、息子の将来も安泰のはずだ。何としても覚えめでたきを得て、ご子息の学友にしてもらおう。そのためには惜しむべき金額ではない。夫も分かってくれるに違いない。夫人はそう信じた。

「こちらも商売ですので少々の金利はいただきますが、お返しはいつでも結構でございます」

そうして、彼女は骨董商の示した書面にサインをした。ろくに確認もしなかった。たとえ確認したとしても、複雑な言い回しを多用した契約書を、彼女が理解できたとは限らないが。

盛大な誕生日パーティーが開催された日から1か月半ほどの間、子爵夫人は久々に機嫌よく日々を過ごすことができた。新年に帰らぬ夫にも腹が立たなかった。彼女の夫は貴族社会では終わった人なのだ。今さら親族友人に新年の挨拶を欠いたからといって、どうということはない。

公爵夫人は彼女の贈り物をたいそう喜び、「今度はお子さん連れて遊びにいらっしゃいね」とまで言って下さった。 息子は夫と異なり、帝国貴族としての王道を歩いていくだろう。そのための道筋をつけてやれたことが母親として誇らしかった。

債権回収人と名乗る者が屋敷を訪ねてきたのは、2月に入ってすぐのことである。

「125万帝国マルクをご返済いただきたいのです」

「何ですって? わたくしが借りたのは、たった50万帝国マルクですよ」

取立てを受ける身でありながら、なお権高な態度を崩さないのが貴族というものであろうか。回収人は腹の中で笑ったが、表面上は如才なくふるまった。

「奥様、まさか無利子というわけには参りますまい。10日で2割。契約書のお約束どおりでございます」

「返済はいつでもよいという話だったはずです」

「どのような口約束があったかは存じませんが、私どもはその骨董商とは無関係。たんに債権の譲渡を受けただけでございますので。ご返済いただけぬのであれば、出るところへ出るしかございません」

よくお考えください、と、半ば脅し文句のようなことを言い残して、債権回収人は去って行った。

弁護士に調べさせると、骨董商は姿を消していた。弁護士は、「契約書は法的に有効なものであり、金利も適法である。債権回収人は善意の第三者として保護される」というようなことをくどくどと説明し、一刻も早く返済なさるべきです、と、当たり前のことを言った。

10日で2割の金利。貴族令嬢として何不自由なく育ったクラヴィウス子爵夫人には、その重大性が理解できなかった。複利で増える借金の恐ろしさも。

ただ、裁判沙汰になりでもしたら、せっかく作った公爵夫人との関係が絶たれてしまうであろうこと、そして社交界で白眼視されるに違いないことだけは分かった。それは彼女にとって、借金とは比べ物にならぬくらい深刻な問題であった。

それから10日たち、今度は150万帝国マルクの返済を迫られたが、夫人は当主がオーディンに戻るまで返済を待つよう言って追い返した。債権回収人は「10日後には180万になりますが…」と、困ったようなそぶりを見せて帰って行った。

数日後、7か月ぶりに帰宅したクラヴィウス子爵は、ティーカップ1客に50万マルク支払ったと聞いて「ひどい冗談だな」と他人事のような感想をもらした。金利がかさみ6日後には180万マルクを返済せねばならないと告白されると、「馬鹿な…」とつぶやいたきり、息子の将来のためだという妻の金切り声を、すべて沈黙のうちに聞き流した。

 

そして今日、クラヴィウス家の顧問会計士が呼び出されたわけである。会計士は、破産を回避するべき理由をあれこれと並べ立てたあげく、

「樫之木館アイヒェンバウム・ハオスにご相談なさるしかありますまい」

と、専門性も独創性もないことを言った。

分かっていたことである。最初からそうするしかないのだ。

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