X Das Spiel vom Ende der Zeiten

時の終わりの劇

Das Spiel vom Ende der Zeiten (1)

新帝国暦3年5月12日

ハイネセンを火の海にしたアドリアン・ルビンスキーのテロ事件翌日、ドミニク・サンピエールは軍務尚書直属の憲兵隊に拘禁された。ドミニクは憲兵隊の尋問に素直に応じ、ルビンスキーの計略及びフェザーンと地球教、そしてヨブ・トリューニヒトとの関連について詳細な供述を行った。一連の事件の全容があらかた解明されたのは、彼女の証言に依るところが大きかった。

ドミニクがルビンスキーの長年の情婦であることは、誰もが知るところだ。だが、彼女がルビンスキーという男を語る口調は極めて淡々としたものであった。憲兵の一人は「愛はないが情はある」という、やや陳腐な台詞でその心情を形容した。

ドミニクの逮捕拘禁から約半月後、午後から小雨が降り注いだこの日、取調室に突然、オーベルシュタインが姿を見せた。何も知らされていなかった憲兵は、顔をこわばらせながら尋問を続けた。背後からあの軍務尚書に見つめられ、平静を保ち続けられる者は少ない。

憲兵もドミニクも、すでに聞くべきことは聞き、話すべきことは話している。今さら新しい情報が出てくるわけでもない。尋問は事実関係の細かな確認に終始した。

オーベルシュタインは1時間ほどの間、黙ってその様子を見ていた。そして担当の憲兵が予定していた尋問を終え、おそるおそる振り向いたところで、初めて口を開いた。

「エルフリーデ・フォン・コールラウシュの行方を知っているか」

オーベルシュタインの唐突な問いに、ドミニクはこの半月で初めて、驚いた表情を見せた。憲兵たちにも驚きの表情があった。

ドミニクは確かにエルフリーデを庇護している。彼女は完璧に情報を封鎖しているつもりであった。だが軍務尚書が確信を持って尋ねたのは間違いないようだ。いったいどこから情報が漏れたのか。いや、エルフリーデの行方を知ってどうするつもりなのか。リヒテンラーデ侯の一族として、それともロイエンタールの愛人として、罪を問うつもりだろうか。

――守らなくては。渡すわけには行かない。

エルフリーデとその子の運命が、彼女の関与により大きく変わったのは確かだ。何より我が子を失わせることになったことに対し、自責と同情の思いもあった。

何と答えるべきか。どのように答えれば、この怜悧な男を納得させることができるのか。ドミニクの頭脳は急速に回転をしていた。

 

「聞いていたより、優しそうな人だったわ」

軍務尚書の印象をエルフリーデ・フォン・コールラウシュはそのように語った。

エルフリーデがフェザーンの司法省執務室へ出頭を命じられたのは、昨年の春先のことであったという。尋問が始まって数日後、影のように部屋に入ってきたのがオーベルシュタインであった。冷酷な策略をめぐらす非道な男。エルフリーデの耳にもそんな噂が入っていた。

オーベルシュタインは、尋問室に入るなり椅子を交換するよう要求した。あわてふためいて尚書の椅子を替えようとする人々を冷視して、彼は黙って彼女の座る丸椅子を指差した。大きな腹をかかえ、背もたれもない椅子に座らされた彼女を気遣ったらしかった。

懐かしい、と、エルフリーデは思った。軍務尚書その人がではない。彼の発する帝国公用語が、だ。それは完璧な貴族階級の発音であった。間違いなく、彼女と同じ階級に属する人間である。この男もゴールデンバウム王朝の裏切り者には違いないが、それでも他の下賤な者どもよりは遥かに信頼できるような気がした。

貴族階級の多くが没落していくなか、今この国では「反貴族」的であることこそが正義であるとの風潮が生まれている。エルフリーデは流刑地でそれを嫌というほど味わった。貴族としての矜持を胸に生きてきた彼女には、とうてい受け入れがたいことであった。そしてその屈辱を胸に、流刑地を脱してきたのである。

簒奪者を支える三元帥。まさか自分がそのうちの一人の子を孕もうとは思いもしなかった。もし、命を狙った相手が目の前に座るこのオーベルシュタインであったなら、自分の運命はどうなっていたのだろう。厳しく処断されたかもしれないが、少なくとも彼女に屈辱を与えようとは試みなかったのではないか、と、エルフリーデは思った。

エルフリーデは一族が惨禍に遭ったいきさつをよく知るわけではない。もし知っていれば、オーベルシュタインに対し、また違った感想を抱いたかもしれない。

一方、オーベルシュタインは、かつて帝国宰相を務めたリヒテンラーデ侯爵を高く評価していたところがある。今にも崩れ落ちそうな国を支え、愚鈍で無能な皇帝をよく補佐した。各者の利害をよく調整し、政局を見る目も確かであった。だからこそオーベルシュタインは、不意打ちまがいのことをしてでも、彼を除いておきたかった。正面からは対峙したくない相手であったのだ。

 

ドミニクはオーベルシュタインの瞳を静かに見返したが、そこから何も感じとることはできなかった。逆にその冷たい義眼が彼女の心を抉り出そうとするかに見えた。背中を汗がつたうのを感じながら、彼女は小さく息を吸い、

「知らないわ」

とだけ、答えた。

軍務尚書はそれ以上、何も聞くことはなかった。エルフリーデ・フォン・コールラウシュに関する問いが、いったい何のための問いであったのか、ドミニクにも、その場に居合わせた憲兵らにも、うかがい知ることはできなかった。

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Das Spiel vom Ende der Zeiten (2)

新帝国暦3年7月20日

フェザーンの高級住宅街にある高層マンションの一室である。

「こちらにご署名いただけますかな」

オーベルシュタインは、フランツィースカ・ヒョードロワ夫人を訪ねていた。差し出した書面には、VERTRAULICH機密の印が押され、ルビンスキーの逮捕にかかわる情報提供の経緯が記されている。

それは、軍の公式文書であった。国事犯を捕えるために情報提供者と接触をした。そういう形式を整えておかなければ、軍人としてのオーベルシュタインの一分が立たぬ、ということである。一部例外を除き、機密文書は30年の間、非公開とされる。

「夫人が気にかけておられた、エルフリーデ・フォン・コールラウシュの件ですが、私自らドミニク・サンピエールに尋問をしました。コールラウシュの行方については、知らぬと供述しております」

「知らない、と」

「おそらく虚偽でしょう」

オーベルシュタインの見たところ、ルビンスキーの情婦は消えた女の行方を知っているし、それを保護し続ける意思を有している。

「ドミニク・サンピエールの身柄は、現在も軍が確保しています。フェザーンに連行することもできますが、我々としては、もはや彼女の証言を必要としません。釈放したほうがコールラウシュのためにもなるでしょう。これ以上の追及は不要ではありませんかな」

夫人は一度瞳を伏せ、何か思案するふうであったが、やがて安堵の微笑みを浮かべて書面に名を書き入れた。

そして、書類をおさめて立ち上がりかけたオーベルシュタインを制し、「お見せしたいものがありますの」と言って姿を消すと、一通の封筒を手にして戻ってきた。義眼の焦点がテーブル上の白い封筒にピタリと合ったまま、固定された。その宛名書きの特徴のあるFの書き方に、切ないほどの見覚えがあった。

妻フランツィスカの筆跡に間違いない。夫人は「どうぞお読みください」と、その娘にそっくりな声で促し、席をはずした。

封筒へと伸ばされたオーベルシュタインの手が、無様に震えた。

 

“愛するお母様へ

突然お便りすることをお許し下さい。貴女の娘、フランツィスカです。先日偶然、フェザーンの広報雑誌でお母様のお写真を見かけ、ペンを取りました。お元気にお暮らしのご様子で、安心いたしました。

このような手紙を差し上げては、ご迷惑だったでしょうか。ですがお母様、わたくしに下さった最後の言葉を覚えていらっしゃいますか。「いつもあなたの幸せを祈っているわ」と、お母様は、そうおっしゃいました。ですから、今、わたくしが幸せに暮らしていると、どうしてもお知らせしたかったのです。

わたくしはこの6月、ある方のもとへ嫁ぎました。子爵家の嫡子で、今年、士官学校を卒業された軍人です。今は帝都で、旦那様と、執事夫妻と、犬のアインシュタインと共に暮らしております。子犬だったアインシュタインも、もうすっかりおじいさんですわ。

お母様と離れ離れになってから、わたくしの心には悲しみばかりが積もっていくようでした。今年の初めに、お父様が逝去されたときは、本当に何もかも失ってしまったと思いました。ですが、今は、旦那様がそばにいてくださいます。旦那様はお優しく、責任感の強い方です。大変頭がよくていらして、常に条理にかなったことをおっしゃるの。あの方がいらっしゃれば、わたしくは道に迷わずにいることができます。

ただ、旦那様の心の裡にはいつも深い悲しみがあって、わたくしには、まだ、それを癒す方法がみつかりません。きっと「正しい答えを導くには正しい方程式が必要」なのですね。これは旦那様の口癖ですわ。

お母様、もしこれからもわたくしの幸せを祈って下さるなら、どうかわたくしが正しい方程式を見つけることができるよう祈ってください。

これが最初で最後の便りです。お母様とヒョードロフ様の幸せをお祈りします。どうか、ご健勝で。

482.11.05, オーディンにて

小さなフランツィスカ”

 

コーヒーを入れ替えて戻ってきた夫人は、膝の上の便箋をぼんやりと見つめる軍務尚書を見ることになった。氷河を削ったような印象の顔立ちが、ひどく和らいでいる。

「その手紙がわたくしの手元に届いたのは、帝国暦482年の暮れのことです」

オーディンからフェザーンへの郵便は、通常、1か月程度で届く。だが、差出人として「小さなフランツィスカ」とだけ書いてヒョードロフ不動産宛てに届けられたその手紙は、緊急性がなく、夫人の交友関係のある相手でもないと判断されて、彼女の手元に届けられる優先度が下がったのだった。

夫人はかつて愛した人が1年近く前に逝去していたことを初めて知った。娘が人の妻となっていることに驚き、その手紙を喜びもした。しかしそれは、すでにこの世にない娘が幸せだと伝えてきた手紙だったのである。

クラヴィウス家の弁護士が娘の死を知らせてきたのは、手紙を受け取った翌日のことであった。いや、弁護士はフランツィスカの戸籍状況を調べるために、その母親に接触しただけ、というほうが正しいだろう。若すぎる死の理由は、 ただ「婚家の騒動により」と繰り返すのみで、詳しくは聞かされなかった。何とか頼みこんで、ようやく嫁ぎ先の家を聞き出せただけだった。

「閣下。娘はなぜ、命を落としたのでしょう?」

「それは…。私が臆病者であるがためです。世間とも、父とも、自分自身とも、向き合うことができなかった。だから、守ってやれなかった」

オーベルシュタインの長い指が、手紙の上を伝う。

「責めているのではありませんの、閣下。短い間でもあの子が幸せであったなら、それでいいと、今は思っていますわ」

「幸せ、だったのだろうか」

「閣下はいかがでした?」

その問いに対し、オーベルシュタインはしばし無言であった。コーヒーの立てる湯気がずいぶんと細くなった頃、彼はつぶやくように答えた。

「彼女はよく、歌をうたってくれました」

 

緑の森の小さな雛は 高い梢の暖かいおうち

楽しい夢を見てすやすや眠る

優しいお母様の羽の下

風も雷も怖くない 狐も狼も怖くない

 

オーベルシュタインの薄い唇が歌詞を紡ぎだすと、夫人の目にみるみる涙があふれた。

「閣下、その歌…」

「ご存知ですかな? メロディも教えてもらったのだが、私はとうとう覚えられなかった。音程を間違えては、笑われたものです。何という歌ですか? 彼女はフェザーンの歌かもしれないと」

「題名なんてありませんわ。わたくしが、あの子のために作ってやった歌ですもの。シュテファンが、いえクラヴィウス子爵がお屋敷に行ったまま帰ってこなくなって、あの子があまり寂しがるから。あの子のためだけに歌ってやった歌ですもの」

美しい歌声が、ヒョードロフ邸に響いた。オーベルシュタインは瞳を閉ざし、じっとその歌を聞いていた。彼が悲しみの淵にあるとき、愛する人が歌ってくれた、あのメロディだった。

「ありがとうございます。………義母上ははうえ」

最後の一言は、長く逡巡した後に、ようやく小さく付け加えられた。

 

自宅に戻ったユーリー・ヒョードロフは、玄関で意外な人物を発見し、思わず大きな声を出した。母はその人物・銀河帝国の軍務尚書を見送りに出たきたところらしかった。ヒョードロフ家の若き当主は、丸い目をしたまま、人懐こい表情を浮かべて二人を眺めた。だが、オーベルシュタインは何の説明をすることもなく、妻の母と弟に過不足のない挨拶をして、影のように去って行った。

「驚きました。お母様と元帥閣下が一緒にお茶を楽しまれるような関係だとは、知りませんでしたよ」

「あら、どういう意味?」

「もし元帥がお父様になるのだったら、はやく教えてくださいね」

「まあ、あきれた子ね。あの方はあなたのお兄様ですよ」

「え? なんです、それ?」

ユーリーの疑問は軽やかな笑い声にかき消された。

 

外は、フェザーンの太陽がちょうど惑星の影に入ったばかりであった。自動運転の地上車の窓越しに見える新帝都の空は、ひどく暗い。フェザーン回廊の中間にあるこの惑星では、夜空を彩る星が極端に少ないのである。回廊の航行不能部分に分厚いガスが充満しているため、遠くの星の光が届かないのだ。

オーベルシュタインはふいに、フェザーンの夜空に煌めくことのない彼の故郷オーディンを渇望した。これほど過去に心引かれたことはなかった。オーディンに眠る妻のことだけではない。死の床にある皇帝の存在が、いっそう彼にそのような思いを抱かせたのかもしれない。このままフェザーンに留まっても、赤子でしかない皇帝を間に挟んで皇妃と対立する未来があるだけたろう。浅ましいことだ。

――フランツィスカがいてくれたら…。

懐かしさと愛おしさとが彼の胸を侵食した。人はきっと、こういうときに泣くのだろう。オーベルシュタインは初めて、その感情を知ったように思った。

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Das Spiel vom Ende der Zeiten (3)

薄暗い部屋の中で義眼が人工的に反射した。雷雨が続いている。

オーベルシュタインは、窓の外に注意を向けながら、彼の養う犬のことを思い出した。あの犬は雷を怖がったことがない。もともと胆力があるのか、流浪の生活が彼の精神を鍛えたものか定かではないが、どんなに雷が荒れ狂ってもどこ吹く風と、泰然としている。たんにもう耳が遠いだけなのかもしれないが。

閃光、数瞬遅れての轟音。音は先程よりもわずかに遅れて轟いたようだ。嵐の中、光と音との間隔を数え、その距離を計ってしまうのは、オーベルシュタインの習性ならいしょうのようなものである。雷は遠ざかりつつある。

――じきに、止むな。

オーベルシュタインが再び手元の書類に視線を落とした瞬間、雷とは異なる閃光と轟音とが、彼の至近距離で同時に爆発した。ガラスの落ちた窓から横殴りの雨粒が吹き込み、書類に燃えついた炎をかき消した。オーベルシュタインはその雨の冷たさで何とか意識を保つことができた。つまった息を吐くと、腹のあたりから熱と痺れが全身に広がるのが分かった。聴力を取り戻した耳に、凶人の狂笑が廊下を遠ざかっていくのが聞こえた。

 

「軍務尚書!!」

意識を失っていたようである。風が窓をカタカタと叩いている。爆発の残滓を感じさせるものは何もない。オーベルシュタインは、先程まで執務していたのとは違う部屋に寝かされていた。体が焼けるように熱い。頭をおこして熱源を目視し、胸のあたりの服を軽くつかんだ。

――ああ、また穴が開いてしまった。

風が、通り抜けていく。もはや何をもってしても塞ぐことはかなうまい。なんとも醜い。身体にぽっかりと開いた穴は、義眼をはずした後の、あの異様な窪みにも似ていた。

彼は幼い頃から、常に身体を通り抜ける風の音を聞いていた。妻を失って以来、風は更に強さを増して、空虚な穴を悲鳴のような音をたてて吹き抜けた。一瞬たりともやむことがなかった。憎悪した王朝を滅ぼしても、人臣位階を極めても、風はやまなかった。

だが、それがもう遠い世界の出来事のように感じられる。

――私は、死ぬのだな。皇帝の崩御に先立って死ぬか。それもよかろう。光が消えれば影もまた消えるべきなのだ。

そう思うと、無益な言動を労する者たちが煩わしかった。

「ラーベナルトに伝えてくれ…」

軍医が彼の言葉を聞き取って頷くのが見えたと思ったら、視界が閉ざされた。

 

静かだった。風はやんでいるようだ。体を焼く痛みも、もう感じない。死は静寂とともにあるのか。

『こちらを見てください』

――私はもう目を開けていられそうにないのだ、フランツィスカ。

『あなたの視線の先には、わたくしの居場所がありますもの』

 

――フランツィスカ。

 

オーベルシュタインは自身の冷たく凍える心が、暖かい腕に包まれるのを感じた。彼には分かっている。目を開けてそこにあるのは、ワルキューレの姿でもヴァルハラの門でもない。愛しい人が、 小さなえくぼのある微笑を浮かべ、故郷の湖と同じ色の瞳に信頼の光をたたえてこちらを見つめているのだ、と。

新帝国暦3年7月26日の夜のことである。

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Das Spiel vom Ende der Zeiten (4)

新帝国暦3年7月27日

軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥の遺体は、冷凍カプセル型の棺に入れられて自邸に戻った。重傷を負った腹部は既に軍病院の医官によって縫合され、新しい軍服に着替えさせられている。高名な義眼を閉ざしたその顔には、不思議と穏やかな表情があった。

執事夫妻は主人の突然の死を嘆きつつも、悲しみを押し殺して弔問客を迎えた。もっとも、多くの者にとっては皇帝崩御の喪失感が大きく、また、生前のオーベルシュタインの為人もあいまって、彼に対する弔意は極めて簡潔なものにとどまった。

そんな中、ビッテンフェルト上級大将だけは違っていた。銀河一の猛将は、皇帝のために散々涙を流した後であったにもかかわらず、オーベルシュタインの遺骸を前にしても、声をあげて泣いたのである。周囲は驚いた。彼らは軍首脳の間で最も中の悪い二人とみられていたし、現にハイネセンにおいては暴力沙汰さえ起こしている。ビッテンフェルトとしてはケンカ友達を無くしたよな心持ちだったのかもしれない。僚友や部下らはその率直な人柄をあらためて讃えた。

この日の夕方、ようやく諸事を片付けてオーベルシュタイン邸を訪れたミュラーは、自身が軍務尚書の葬儀委員長を任じられた旨を執事に告げた。皇帝の大喪については国務尚書のマリーンドルフ伯爵と、ミッターマイヤー元帥があたることとなり、軍務尚書の葬儀については上級大将の首席としてミュラーが指名されたとのことである。事務局はオーベルシュタインの秘書官であったシュルツが責任者に任じられた。尚書の秘書官はいわゆる「二君に仕えず」が慣例で、尚書が退任すれば共に退くという不文律がある。辞令こそ出ていないものの、オーベルシュタインの死に伴い、必然とシュルツは尚書官房付、つまり待命中の身となっている。忠実な秘書官は、昨夜からずっとオーベルシュタインの身辺にあった。

「元帥閣下の葬儀は、国務尚書の決裁が下りしだい、国葬にて執り行われる予定だ。これから調整に入るが、おそらく8月1日になるだろう」

皇帝のほうはローエングラム王朝における大喪の典礼が定まっていない等の事情を考慮し、もうしばらく時間を要するものと思われた。ミュラーの言葉に、執事はあらためて胸を遡ってきた悲しみを呑み込んだ。

「それから、軍務尚書の最後の言葉を伝える。『私の遺書はデスクの3番目の抽斗に入っているから、遺漏なく執行すること。それと、犬にはちゃんと鳥肉をやってくれ。もう長くないから好きにさせてやるように』ということだ」

「…当家の顧問弁護士は、ラインスドルフ氏です」

「遺言の内容を確認したい。連絡をとってもらえるか」

「かしこまりました」

最低限必要な事項を告げ、シュルツに対しては引き続き亡き上司のそばに留まるよう命じて、ミュラーは早々にオーベルシュタイン邸を辞去した。元帥で軍務尚書というその生前の地位からは過小に簡素な門扉をくぐったところで、ミュラーの乗る地上車は、左折してきたもう一台の地上車とすれ違った。後部座席に喪服の女性の姿があった。顔をベールで覆っているが、それでも美しい人であることが見て取れた。隣には若者が付き添っている。軍と政府の関係者以外にもオーベルシュタインの弔問に訪れる者のあることが、ミュラーには少々意外に感じられた。

 

ラーベナルト夫妻は、懐かしいものを見るような眼差しをヒョードロフ母子へ向けた。

「ああ、こちらは弟君でいらっしゃいますね…」

既に母から事情を聞かされているのだろう。ユーリー・ヒョードロフは悲しい目をしたまま、頬に小さくえくぼを浮かべてうなずいた。

「これほど早く逝ってしまわれるなんて」

母親のほうは、オーベルシュタインの亡きがらを見つめる青碧の瞳に白いハンカチーフを押し当てた。

「お覚悟はあったものと存じます。亡き奥様にも、軍人の妻として覚悟はしておくように、と言い聞かせていらっしゃいましたもの」

「写真を、ご覧になりますか?」

いったん退いた執事は、額に入れられた写真を持ってきた。

「あれは陛下のご婚礼の日の晩でしたか、夫人がお訪ねくださったときは、たいそう驚きました。当家の奥様とあまりによく似ていらっしゃいますもので。お顔もですが、何よりお声がそっくりでいらっしゃいますね」

写真を目にした夫人の目からは、更に涙がこぼれた。

「奥様が亡くなられたのは、この写真を撮った日からひと月も経たぬうちでございました」

「この方が、お姉様…」

写真立ては、ユーリーの手によってオーベルシュタインの棺の上に置かれた。そばにひかえるシュルツは、つられるように写真をのぞきこんだ。

書斎らしき部屋だ。古めかしいライティングビューローの上に、白い小さな花を生けた花瓶がある。机の下では毛の長い大型犬がねそべり、写真の中央には若い二人が幸せそうに寄り添っている。一人は、彼の上司であったオーベルシュタインだ。若き日のオーベルシュタインは、特徴的な白髪はまだ見えず、頬がいくぶんふっくらとして、どこか少年の面影があった。薄い唇がわずかに弧を描き、そのせいか冷徹な義眼に柔らかな光を宿しているようにさえ見える。そばに座る娘は、まだ少女というべき年齢であろう。一目見てヒョードロフ夫人の血縁であると知れた。とてもよく似ている。鮮やかな青碧の瞳が印象的で、灰色がかった黒い髪の毛が顔の輪郭をかたち取り、薔薇色の頬に小さなえくぼが見える。二人の左手の薬指には、きわめて自然に、銀色に輝く指輪があった。

シュルツは初めて、近寄りがたい人だと思って仕えてきた彼の上司が、決して人に明かすことのなかった別の一面を知ったのだった。

 

2日後、軍務省内の一室に、ミッターマイヤー元帥、ミュラー上級大将、シュルツ少佐、オーベルシュタイン家の顧問弁護士・ラインスドルフ、同執事・ラーベナルトが参集した。オーベルシュタインの遺言書の検認及び開封のためである。

 

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遺言者パウル・フォン・オーベルシュタインは、次のとおり遺言する。 第1条、遺言者の遺体は、旧都オーディン、ヴェスターヴァルト恩賜公園内墓地のKカー区6号に埋葬すること。遺体不在の場合は、この遺言状とともに保管する指輪を棺に納めたうえで同地に埋葬すること。なお、祭祀の継承は不要である。 第2条、遺言者の保有する財産は、別紙明細のとおりである。 第3条、遺言者は、遺言者に長年仕えたクルト・ラーベナルト及びヘルガ・ラーベナルト夫妻に対し、上記財産からそれぞれ20万帝国マルクを遺贈する。 第4条、遺言者は、遺言者が旧都オーディン・ファイルヒェン街24番地に所有する土地及び家屋並びに屋内外の一切の家財を、上記ラーベナルト夫妻に遺贈する。 ただし、フランツィースカ・フョードロワ女史に対し、ラーベナルト夫妻の了解のもと、本条に係る家屋の2階南西角の部屋における家財のうちより任意の物品を取得し、もって故人を偲ぶよすがとされることを希望する。 第5条、本遺言状がすべて執行された後の残余財産は、オーディン帝国大学宇宙物理研究所に遺贈し、もって若年研究者助成の原資として利用することを希望する。 第6条、遺言者は、本遺言状の遺言執行者として、ホッファー・ウント・ラインスドルフ法律事務所の弁護士ヘルベルト・ラインスドルフ氏を指定する。 第7条、遺言執行者の報酬は、遺言執行時において遺言者が遺言執行者に支払う年間顧問弁護士料相当額とし、上記財産から支弁する。 新帝国歴3年7月22日 パウル・フォン・オーベルシュタイン
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  遺言は、書き換えられたばかりであった。 「このヒョードロフ女史というのは? 軍務尚書とは、どのような関係にあるのだ」 執事は一度、弁護士の顔を見てから、ミッターマイヤーの問いに答えた。 「フョードロフ夫人は、以前主人と縁のあった方のお母君でございます。オーディンの屋敷にその方の遺品がございますので、夫人にお分けしたいと考えたものと存じます」 「ふむ…」 「ヒョードロフ不動産プロパティの関係者か?」 「先代の未亡人とうかがっております」 執事の返答に、ミュラーは難しい顔をした。 「ヒョードロフ不動産は軍務省仮庁舎の建物所有者ではなかったか。もしも、仮庁舎の賃貸借契約が私的交遊の上に締結されたものであれば、不正、利益誘導のそしりを免れることはできないが」 それに答えたのはシュルツ少佐である。 「仮庁舎ビルの選定にあたって、不正はなかったと断言できます。小官はすぐそばで交渉を見ておりました。軍務尚書閣下は、営繕課から契約のドラフトが上がってくるまで、取引の相手方がヒョードロフ不動産であるとはご存じありませんでしたし、調印の席で夫人と面識を得て驚かれたように見えました。直後には、調査部に対し夫人の背後関係を洗うよう指示も出されています。その結果、亡きヒョードロフ氏が反ルビンスキー派であったことが、夫人が軍務省との取引に積極的であった理由であると結論されております」 「それらの経緯は書面で残っているのだな?」 「はい。閣下は、枉法徇私おうほうじゅんしを何より嫌われる方でございました」 「よろしい。問題なかろう」 わたくしのために法を曲げる。オーベルシュタインに限ってそれはないだろう。彼に対し心理的葛藤を持っていたミッターマイヤーでさえ、それだけは確信を持つことができる。 そのほか、遺言の細かな部分に関する確認が終わった後、ラーベナルトが発言を求めた。 「わたくしどもへの御恩情でございますが…」 執事がすべてを言いきる前に、弁護士が彼を制した。ラインスドルフは、40年にわたってオーベルシュタイン家の顧問弁護士を務めている。すでに70歳を超える年齢だが、遷都に伴ってフェザーンへ事務所を移し、近頃は旧同盟領法の研究に余念がない。彼にとっても、幼い頃から見てきたオーベルシュタイン家の「若様」の死は衝撃であった。時折書き換えられてきた遺言書に込められたオーベルシュタインの思いを最も理解していたのは、この弁護士であったかもしれない。 「お受けになるべきですよ、ヘル・ラーベナルト。閣下は遺言を遺漏なく執行するようあなたに言葉を残された。あなたが遺贈を受けようとしないであろうと、予想しておられたのでしょう。遺言執行人として私を指定しながら、わざわざあなたに口頭で遺言を残されたのですからな。決して断らぬように、との閣下のご命令と思われてはいかがですか」 忠実な執事は、右手で目を覆い、深くこうべを垂れた。
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Das Spiel vom Ende der Zeiten (5)

オーベルシュタインの遺体がオーディンへと飛び立つ日、フェザーンの宇宙港へは、元帥杖を賜ったばかりのケスラー元帥と、オーベルシュタインの部下であった何名かが見送りに来た。冷徹な軍務尚書の腹心として最もそば近くに仕えたフェルナーは、オーディンまで同行したかったようであるが、突然に尚書を失った軍務省内の混乱を統制せねばならず、希望はかなわなかった。彼は、かつての上司の遺体が納められたカプセルをのぞき込み、その左手の薬指にはめられた指輪を見て、何やら得心した表情をみせた。上司が心深く隠してきたものの正体を、やっと知ったように思ったのだ。

ラーベナルト夫妻にとっては、主人の死から10日と経たぬうちにフェザーンを発つという、慌ただしい旅立ちであった。しかし、もともと仮住まいのような屋敷であったため、いざ片付けてみればあっけないほど簡単に荷造りがすんでしまい、それがまるでオーベルシュタインが自身の死を予感していたように思えて、夫妻の涙を誘った。

オーベルシュタインの葬列には、ラーベナルト夫妻、老犬、シュルツ少佐、そしてフランツィースカ・フョードロワが従った。夫人は、オーベルシュタインの埋葬を見届け、同時に、亡き娘の墓に詣でたいと願ったのであった。オーディンまでは1か月足らずの船旅である。その間、ラーベナルト夫妻は彼らの知る若様と若奥様のことをフョードロフ夫人に語り聞かせた。そのあまりに儚い幸せに、夫人のハンカチーフは乾く間がなかった。

 

ヒョードロフ夫人かオーディンにやってきたのは、30年ぶりのことである。旧帝都は何一つ変化がないように見えた。いや、かつての賑わいを失ったぶん、街全体が遺跡めいた趣きを濃くしていた。オーベルシュタイン邸は旧皇宮にほど近い、長い年月を重ねた古風な建物が立ち並ぶ場所にあった。

ヘルガ・ラーベナルトがかつて若奥様が暮らした部屋に、ヒョードロフ夫人を案内した。長らく住人のなかったその部屋は、乾いた空気で満たされていた。東向きの窓から差し込む光の中に、小さくホコリが舞うのが見える。調度類はどれも重厚で、歴史を感じさせるものであった。

この部屋から好きなものを受け取って欲しい。それがオーベルシュタインの遺言であった。

――フランツィスカ!

ヒョードロフ夫人は、吸い込まれるように鏡を凝視した。そこに一瞬、彼女によく似た、だが彼女自身ではないものが映ったように思ったからだ。

鏡台の上には、若き日のオーベルシュタインの写真があった。士官学校の制服姿で、実に不機嫌そうな表情を浮かべている。世の人々の知る軍務尚書オーベルシュタインが、常に感情を完璧にコントロールする人間であったのとは対照的である。

「こちらはご婚礼前にお写真を交換した折のものです。ふふふ、まったく、ひどいお顔で映っていらっしゃいますねえ。でも奥様は、このお写真をとても大切になさっていて…」

ヘルガは笑いながら、エプロンの端で目を覆った。

写真の隣には硝子の香水瓶が置かれていた。 ボトルの首に色あせた青いリボンが結んである。鈴蘭の花が描かれたラベルも時を感じさせる色に変わっていた。

「その香水は十六になられたお祝いに御父君が贈ってくださったものだと伺っていますわ。奥様は青いリボンがお好きで、犬のアインシュタインの毛にも、いつも青いリボンで結んでやっていらっしゃいました」

ヒョードロフ夫人にとって、それはかつて見慣れた香水であった。娘の父が夫人に始めてたくれた贈り物が、この銘柄の香水だったからだ。青いリボンはきっと、あの分かれの朝に娘の髪に結んでやった、あのリボンだろうと思った。二親を失った娘は、どれほどの寂しさと悲しみを抱えて生きていたのか。それを思うと胸が痛んだ。

フランツィースカ・ヒョードロワはそっと香水瓶を手に取った。まだ、3分の1ほど、中身が残っていた。

「フラウ・ラーベナルト。これをいただいても、よろしいかしら」

その香水瓶は、遠い昔に切れてしまった彼女たち親子三人の絆を、再び結ぶもののように、ヒョードロフ夫人には思えた。

 

オーベルシュタインの棺は、彼の遺言どおり、旧都オーディンのヴェスターヴァルト恩賜公園に埋葬された。夏が終わろうとする静かな森の一角、うっすらと苔むした墓石の横に、真新しい墓石が建てられた。元帥であった人のものとは思えぬ、姓名と生没年のみが記されただけの簡素なものである。墓碑銘もない。ほんのわすがな人々だけが、湿った土が棺を覆う様子を身守った。

こうして、ローエングラム朝銀河帝国初代軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン元帥は、かつて彼が愛した人の隣で眠りについた。全宇宙の耳目が不世出の皇帝の大喪に注がれた、新帝国暦3年9月1日のことであった。

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