XI Und sagte kein einziges Wort

そして何も語らなかった

Und sagte kein einziges Wort

新帝国暦44年秋

ミッターマイヤー退役元帥は、杖に寄り掛かりながら獅子の泉に伺候していた。

「元帥、オーベルシュタイン伝を読んだか?」

ローエングラム朝銀河帝国第二代皇帝・アレクサンドルは、老臣に椅子をすすめるや、にこやかに問うた。この年、「オーベルシュタイン伝」と題する書物が発刊され、オーベルシュタインを知る人や知らぬ人の間で、たいそう話題になっていた。著者は、オリガ・フロイデンベルクなる、フェザーン出身の女性である。皇帝自身も読んだのであろう。

「はい、陛下。読みました」

「どうだったかな、ともに建国の元勲たる僚友の伝記は」

「はあ、なんと申しましょうか。もし彼の生前に知っていれば、と思うことが多くございました」

「見直した、ということかな?」

老元帥に対し、皇帝はからかうような笑顔を向けた。ミッターマイヤーはかつて蜂蜜色であった白い髪に手をやって、苦く笑った。

「我が友・ロイエンタールは、言ったことがありました。『失うべからざるものを失ったのち、人は変わらざるをえんのだろう』と。あのオーベルシュタインもきっと、その1人だったのだろう、と、そう思ったのでございます」

「うむ。そうかもしれないね。私は一つ、腑に落ちたことがある」

「何でしょうか?」

「皇太后陛下は、私が皇后を選ぶにあったって、『安らぎを得られる相手を選びなさい』とおっしゃった」

 

「アレク、これはね、オーベルシュタイン元帥が先帝陛下に言った言葉だそうよ。元帥は、先帝陛下にはそんな人が必要だと知っていて、わたくしではそのような存在になれないと、きっとそう思っていたのね」

「まさか」

「いいえ。陛下は埒もないことと笑っていらっしゃったけれど、今ならよく分かるわ。先帝陛下とわたくしは、最初から最後まで上司と部下の関係で、いわば戦友のようなものだったの。きっと陛下には、グリューネワルト大公妃殿下のような方が必要だったのよ」

広大な帝国を一人で支えて来た偉大な母は、意外にもきっぱりと言い切った。

「わたくしもね、多くの人と共に政務を執る中で、思うことがあったの。この人たちにはそれぞれ、愛する人の待つ優しい家があるのだ、と。アレク、皇帝というのは孤独な存在よ。確かに、政務を助けてくれる人はたくさんいるでしょう。でも、孤独を支えてくれる人はほんのわずかだわ。あなたがいてくれて、どれほど救われたことか」

若き皇帝は何の言葉も返すことができなかった。ほんのわずかな結婚生活で夫を失った母は、類まれな才女であった。だが、一人の女性として、それは幸せな人生であったのか。そのような思いが心をよぎったからだ。

 

全宇宙を縦横無尽に駆け巡った司令官は、皺だらけの手で杖の頭をひとなでした。

「皇太后陛下がそのようなことを」

ミッターマイヤーは、オーベルシュタインが妻に宛てて書いたという手紙を思い起こしていた。極めて事務的なその手紙からは、若い彼が妻に示した愛情の一端をうかがうことができた。ミッターマイヤーのように、後年のオーベルシュタインのみを知るものにとっては、あの男が感情の存在を示すような手紙を書いたということだけで、十分な驚きであった。

聞けば、公文書以外に残されたオーベルシュタインの筆跡は、その手紙だけなのだという。彼は私人としての痕跡を消すかのように生きた。何人にもその心うちを明かすことがなかった。

「元帥。オーベルシュタイン元帥にとって、婚姻とは安らぎの場であったのだろうね」

「そうですな。それならそうと言えばよいものを、奴はまったくの秘密主義者で」

かつての僚友を罵るような言葉とは逆に、元帥の老いてなお輝きを失わぬ灰色の目には寂しげな色があった。

 

オーベルシュタインと関係のあった人々のその後の人生は、次のように伝えられている。

フランツィースカ・ヒョードロワは、新帝国暦39年、93歳で死去した。多くの戦争寡婦と戦争孤児の人生を支えた慈善家として、人々の記憶にその名を残している。

彼女がラーベナルト夫妻から受け継いだオーベルシュタインシュタインの遺品の多くは、その死後、帝国建国博物館の所蔵するところとなった。生涯大切にし続けた、娘フランツィスカからの手紙は、「オーベルシュタイン伝」に収録され、身近な人から見たオーベルシュタインの人柄を伝えている。

また、ルビンスキーの拘禁に関し、オーベルシュタイン元帥と彼女との間に取引があったことは、新帝国歴33年の公文書公開で明らかになり、人々を驚かせた。ドミニク・サンピエールとエルフリーデ・フォン・コールラウシュとは、後年ひそかな交流があったという。

オーベルシュタインの故郷・クライデベルクの城は、新帝国歴8年に、フランツィースカ・ヒョードロワの息子であるユーリー・フョードロフの所有するところなった。ユーリーは、ほとんど廃墟となっていた城をホテルに改築し、オーベルシュタイン元帥が幼少期を過ごした西塔の部屋のいくつかを歴史的建築物として保存して、宿泊者に公開した。ホテルは、夏の避暑、冬のオーロラ観光の拠点として、長く愛され続けている。

フランツィスカのもう一人の弟、ジークベルト・フォン・クラヴィウスは、ローエングラム王朝の成立後しばらくして、樫之木館アイヒェンバウム・ハオスに居を移した。クラヴィウス子爵家の広大な邸宅を維持し続けることができなかったためだ。貴族としての矜持にしがみつくように生きてきた彼の母は、新しい世に失望し、ゴールデンバウム王朝の復辟ふくへきが成る日を待ち続けながら、簒奪者たる皇帝に先立って逝去した。ジークベルトは、かつて本人がオーベルシュタインに語ったように、学者としてはたいした業績を残すことができなかったが、母の死後、平民出身の女性を妻に迎え、幸せな家庭を築いた。

ラーベナルト夫妻はオーディンのオーベルシュタイン邸で老後を過ごした。屋敷はオーディン帝国大学宇宙物理研究所の若手研究者のための宿舎となり、部屋数が多いばかりであった邸内は研究に没頭する若者たちであふれることとなった。夫妻の死後、屋敷は帝国大学に遺贈されている。主人であったオーベルシュタインのことについては、ごく親しい人々にしか語ることはなかったという。

オーベルシュタインとフランツィスカが強い関心を抱いていた亜空間高次方程式は、新帝国暦9年に、この分野に跳躍的な発展をもたらす論文が発表された。論文の著者はまだ若い研究者で、かつてクラヴィウス子爵家でフランツィスカの家庭教師を勤めたケラー師の最後の弟子であった。彼は幼い頃、死の床にある師から、一束の論文稿を受け取っていた。長じてオーディンの宇宙物理研究所に入所した彼は、師の残した原稿が、自身の下宿する旧オーベルシュタイン邸に残された数式処理システムで作成されたことを知ることとなり、たいそう驚いた。運命のようなものを感じたのかもしれない。彼は取り憑かれたように論文稿を検討し、フランツィスカの研究を更に応用、発展させて、卓越した論文を発表するに至ったのだった。

のちに史上最高の物理学者との名声を得たこの数理学者は、

「もし、フランツィスカ・フォン・オーベルシュタインが生きていれば、オーベルシュタイン元帥は、フラウ・ドクトル・オーベルシュタインの夫として、世に知られたことだろう」

という言葉を残している。

 

ローエングラム王朝の成立の物語は、映画や立体テレビで何度も映像化され、小説にも、歌劇にもなった。その中で、「オーベルシュタイン元帥伝」は、オーベルシュタインの心に迫ることのできる資料として、常に参照され続けた。

著者のオリガ・フロイデンベルクが、ユーリー・フョードロフの次女であることは、あまり知られていない。オリガはその祖母や伯母と同じく、青碧の瞳を持つ美しい女性であった。伯母、つまりオーベルシュタイン夫人フランツィスカの遺品整理を手伝うなかで、オーベルシュタインが妻に宛てた手紙を発見したことが、伝記を書くきっかけになったという。彼女は幼い頃より、生前のオーベルシュタインを直接に知る人々から、彼について多くの話を聞くことができた。それゆえであろう。その伝記に描かれたオーベルシュタイン像は、軍務省のデスクで謀略を巡らせる冷徹な男、という従来のイメージとは異なる、多くの新しい視点を提供することになった。一人の人間としてのオーベルシュタインを描いた、といってよい。この伝記で初めて明かされた、フランツィスカ・フォン・クラヴィウスとの出会い、そして実の父に妻を殺されるという壮絶なエピソードは、オーベルシュタイン元帥の輪郭を描き出す上で欠くことのできないシーンとして、それ以降のどの創作物にも必ず登場するシーンとなっている。

むろん、読者諸氏がお読みになったこの物語も、その中の1つである。

(完)
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